「ソードアートオンライン」、茅場晶彦の目的は何?
今期スタートしたアニメの中に、「ソードアートオンライン オルタナティブ ガンゲイルオンラインⅡ」というのがある。
めっちゃ長いタイトル・・。
タイトルからして、「SAO」シリーズっぽさはある。
まぁ確かに、この「ガンゲイル」も「SAO」シリーズ作品といえなくもないんだろうが、でも、これの原作者って川原礫先生(「SAO」の原作者)じゃなくて時雨沢恵一先生(「キノの旅」とか書いた人)みたいだし、こういうのは2次創作とでもいうべきものなのかな?
いかにもお遊びっぽい企画だったのに、まさか2期の制作にまで至るほどの軌道に乗るとは・・。
で、これの初回放送分を見たけど、雰囲気は思いっきりコメディじゃん。
「SAO」とはテイストが全然違う。
いや、これはこれで、めっちゃ楽しいんだけど。
主人公のレンちゃん、めっちゃかわいいし。
この企画は、本家の川原先生もちゃんと公認してるらしい。
ということは、キリトやアスナがいる世界線と同一線上ってことでいいんだよね?
じゃ、いつか彼らのゲスト出演もありえるのかな・・。
もともとは、「SAOⅡ」でキリトが参加したミリタリーゲーム「ガンゲイルオンライン」に時雨沢先生が銃器監修で関わってたらしく、「このゲームをネタに自分も小説書きたい」となったとやら。
なんつーか、こういうのは「ガンダム」が好きで、自分でも「ガンダムUC」というオリジナルの小説を書いてしまった福井晴敏先生に近いもんがあるわ。
ようするに「SAO」は、いまや「ガンダム」化しつつあるビッグコンテンツ、ということだろう。
「SAO」シリーズの凄さは、その間口の広さだと思う。
1期では「ファンタジー」ファンを取り込み、2期では「ミリタリー」ファンを取り込み、3~4期では「SF」ファンを取り込み、各シーズン趣向を変えることによって全方位からのファン獲得に成功している。
これほど巧い作品もなかなかないよ。
で、これまた巧いなぁと思ったのが、「SAO」の劇場版である。
第1作目の「SAOオーディナルスケール」は拡張現実をネタにしたSFで非常に面白かったんだが、それ以上に私が「おっ!」と思ったのが2作目3作目の「SAOプログレッシブ」である。
これは、なんとTVシリーズ1期「アインクラッド」編のリブートで、今度は主人公をキリトでなく、アスナの方をメインに据えるという新たな趣向。
で、個人的にはこれ、めっちゃよかったのよ!
うん、実は前々から「主人公、キリトでなくてもよくね?」と思ってたんだよね。
実際、4期「アリシゼーションWar of Underworld」編のうち、全23話中18話においてキリトはずっと廃人で、「あ~」とか「う~」しか喋らなくても、きっちり物語は回ってたんです(笑)。
というか、個人的にキリトはあまり好きじゃない。
アスナの方が好き。
で、この劇場版を見て、アスナは「SAO」開始時点ではゲーム初心者だったという事実を今回初めて知ったよ。
つまり、TV版はキリトの俺Tueee!系だったのに対し、劇場版はアスナの熱血成長記という対比になってるのさ。
最初は全然弱かった彼女が色々な挫折を乗り越えて成長していくストーリーは、ある意味で本編以上に王道路線、非常に好感のもてる内容だった。
ぶっちゃけ、この劇場版って、本編以上に出来がいいかも?
梶浦由記の劇伴、相変わらずキレッキレだし。
あと、この劇場版のよさをもうひとつ言うと、敢えて「アインクラッド」編というスタート地点に再び立つことで、「SAO」における最重要テーマ、
「茅場晶彦は結局、何をしたかったのか?」
という基本を思い出すことができたんだよね。
このテーマはどこか曖昧なままにされ続けた感じで、私たちの心にしこりをずっと残してたわけさ。
当然「茅場は狂人だった」という総括もできようが、でもその立ち居振舞いを見た感じ、彼は明らかに正気だった。
というよりむしろ、我々常人が到達できない域に立ち、何かを見据えているようにも見えたよ。
多くの人が「茅場はたくさんの人を殺した」と解釈してるが、それは一部で正しく、また一部では間違った解釈じゃない?
多くの人が死んだのはあくまで「結果」であり、それは茅場自身が直接彼らを殺したわけじゃないんだから。
彼が直接やったことは、ゲーム参加者のゲーム内監禁以外には、次の2つ。
①ゲーム世界でアバターが死ねば、現実世界のプレイヤー自身も死ぬというプログラムにした(つまり二度と生き返れない)
②ゲーム世界のアバターは、容姿を現実世界のプレイヤー自身に準じるものとした(つまりビジュアルの匿名性排除)
悪質な犯罪性があるのは①なんだが、問題は②である。
茅場は、なぜ面倒な手間をかけてまで②を実現させたのか?
これ一見無意味に思えるけど、実はとても大事なポイントなんだよね。
②の実現による、アバターの容姿匿名性の排除(性別や年齢偽称の排除)。
これって、茅場は「ネットは顔が見えない」「ネットだから本人が特定されない」という大前提を崩したのさ。
もっと分かりやすくいうと
「ゲーム世界を、現実世界に近いものとした」
ということである。
そしてこの精神は、まんま①にも繋がる。
「一度死ねば、生き返らない。
そして、生まれもっての容姿(性別等も含む)も変えられない」
上記は、現実世界ではごく当たり前の条件でしょ?
だけどゲーム世界という仮想空間では、この「ごく当たり前の条件」が成立していない。
茅場は、そこを覆した。
そう、彼の狙いは、この「ゲーム世界を現実世界化する」ことだったんだよ。
そういう実験。
で、その実験の結果は、不幸にも何千人もの人々が死に至ってしまったが・・。
でもさ、よく考えたらおかしな話だよね。
ゲーム世界を現実世界と同じ条件にしただけで、めっちゃたくさん人が死ぬなんて。
まぁ確かに、そこには人を襲うモンスターがウヨウヨいるし、また社会には法秩序、および警察組織がちゃんとできてないってのもマズかったと思う。
社会の成熟度としては、古代~中世ぐらいのレベル?
おそらく、これらも茅場的には全て想定してたことだっただろうが・・。
多分、この茅場という男はプログラマーゆえ、今トレンドの
「シミュレーション仮説」
にかなり強く執着してた、というのが私なりの解釈。
・・あ、シミュレーション仮説をよく分からん人は、こちらをどうぞ↓↓
まぁ早い話が、茅場の仮説は
「そもそも、我々が『現実』だと思い込んでる世界もまた『仮想世界』なんじゃね?
なら逆に、この『仮想世界』もあっちと同一のルール(生き返れない等)にすりゃ、結局は『現実』と同じ世界、ということになるんじゃね?」
という感じ。
なるほど。
我々人間も、実は仮想世界におけるNPC、というイマドキの考え方さ。
茅場のように優れたプログラマーほど、案外こういう思考をしちゃうのかもしれない。
で、「SAO」も3期には茅場の遺志を継ぐ者が現れて、「シミュレーション世界」を完全に作っちゃったわけね。
しかもキリトが、その世界にアバターとしてダイブしちゃって・・。
これ、「創造主世界」のキリトがそっちの世界へとダイブするというのは、いわばイエスキリストが「神の子」として俗世に降臨したのと同じことか?
こうして「SAO」における基礎設計を考えると、これって全てが茅場晶彦というプログラマーから始まった、ゴリッゴリのハードSFなんだよ。
ファンタジーっぽく見えて、実は全くファンタジーじゃない。
しかも「シミュレーション仮説」というワケ分からんものを理解しとかないと、やがて話についていくことも難しくなる。
これほど難解なものがよく3000万部ものベストセラーになったもんだと感心するが、そこはエンタメでうまくややこしさをカバーした川原先生の手腕というもんだろう。
実に見事である。