【読書】超入門資本論(木暮太一)
『資本論』、学校で聞いたことはあるけど結局どういうことかわかってないなあと思っていました。
そんな中、今回は経済ジャーナリストの木暮太一さんが書かれた「超入門資本論」をご紹介します。
朝日新聞社が発行している「AERA」という雑誌で、「年収1,000万円の研究」という特集が組まれました。
年収1,000万円、憧れますね。それだけの収入があったら好きなことに惜しみなくお金を使えそうな気がします。
特集によると、年収1,000万円に届いている人はわずか3.8%しかいないそうです。
ところが、1,000万円プレイヤーたちは、幸せそうではないのです。
しかも、自分たちが幸せでない理由を言える人は少ない、なぜでしょうか?
著書の木暮さんは、「ぼくらが生きている、この社会のルールに気づいていないから」と言っています。
「資本論」を知らずに生活をするのは、野球のルールがわからないのに打席に立ってしまうようなものです。
社会のルール、少し学んでみませんか?気になる方はこの先も読み進めてくださいね。
『資本論』のエッセンスは3つ
木暮さんは、次の3つを理解すれば、『資本論』の重要なポイント、または現代社会を泳ぐうえでの必須必須ポイントを押さえることができると書いています。
ポイント① 「価値」と「使用価値」の意味を理解し、その区別をすること
ポイント② 「剰余価値」の意味を理解し、それが生まれるプロセスを知ること
ポイント③ 「剰余価値」がやがて減っていくことを理解すること
この3つを前提に、『資本論』のルールを見ていきましょう。
商品の価格は「価値」と「使用価値」で決まる
『資本論』には、いくつか重要な理論があります。
コンビニにある「おいしい水」は商品になるのに、きれいな小川の水は商品にならない。この違いが「価値」と「使用価値」です。
そもそも、「価値」と「使用価値」とはなんでしょうか?
「価値」とは商品をつくるための労力の大きさ、
「使用価値」とはそれを使うメリットを表します。
「価値」の意味が、ぼくらが使う意味での「価値」とは違いますね。
「価値」だけでも「使用価値」だけでも商品にならない
商品とは、(自分以外の)他人に売るものです。言い換えると、「価値」と「使用価値」がないものは、他人に売ることはできません。
ドイツの経済学者であるマルクスは、生産したものが商品となるために「命懸けの跳躍」をしなければならないと説きました。
使用価値(使うメリット)がないものは商品になりません。
そして、「使用価値」があるかどうかを決めるのは、他人(お客さん)です。
自分の思い込みで、「これは使用価値があるはず!」と考えて生産しますが、実際の「答え合わせ」は商品ができあがってからになります。
テストに合格しなければ、モノはモノで終わる。これが「命懸けの跳躍」です。
しかし、「使用価値」だけでモノは商品になりません。そのモノに人の手が加わっていないといけません。
コンビニの「おいしい水」は売れるのに、きれいな小川の水が売れない理由はここにあります。
「価値」がない(労力がかかっていない)ものは、いくら使用価値があっても、売りものにならないのです。
じつは、給料がなぜその金額なのかを説いてくれるのは「価値」なのです。
3日間煮込んだカレーと30分でつくったカレー
マルクスは、『需要と供給のバランスがとれている場合、商品の値段は「価値」通りに決まる』と説いています。
少し意外ではないですか?
モノを使うメリットよりも、モノをつくる労力で値段が決まると言っているのです。
ここで質問です。
「3日間煮込んだカレー」と「30分でつくったカレー」、それぞれいくらの値段が妥当ですか。
おそらく多くの人が「3日間煮込んだカレー」を高く設定するのではないでしょうか。
味についてはついてはなにも言っていませんが「3日間」のほうが美味しそうな印象をもちます。あくまで「印象」です。
僕らは消費者として商品を「価値(労力)」で判断しています。
給料は、あなたを働かせ続けるためのコスト
先ほど、給料がなぜその金額なのかを説いてくれるのは「価値」だと書きました。
人間が働くには、その仕事をする体力と知力(知識・経験)が必要です。
たとえば、マラソンを走り終えてエネルギーがゼロになってしまった人を働かせることはできません。
食事をして、睡眠をとって、再びエネルギーを満タンにしてもらう必要があります。
このときにかかるコスト(食費、睡眠のための住居費など)は、労働力を作るために必要な「生産コスト」です。
また、労働力の価値として認められるのは、「世間一般で考えて平均的に必要な費用」だけになります。
個人的に「もっと食費や飲み代が必要!」と言っても通用しないのです。
「頑張っても評価されない…」と嘆くのは筋違い
先ほど、商品の値段は「使用価値」(使うメリット)よりも「価値」(労力の大きさ)で決まると書きました。
給料についても同じことが言えます。
労働力は「商品」です。商品には、価値と使用価値があります。
労働力の使用価値は、「会社が労働者を雇った時のメリット」です。
使用価値が高いものは、需要と供給の法則にしたがって多少値段が変わります。
2倍の使用価値があっても、上がるのは「1.2倍」くらいでしょうか。
労働力も同じです。
「2倍の成果を出しても、給料は1.2倍くらいしか上がらない」のです。(給料が上がらないこともあるかもしれません。)
これが、資本主義経済における給料のルールです。
給料は必要経費分のみ
労働者の給料は、労働力の価値(労力の大きさ)で決まっています。
労働力を再生産するために「明日働くために必要な分」しかもらっていないのです。
「サラリーマンがいつまでたってもしんどい」のはこういう理由になります。
新入社員より、30年目のベテラン社員の給料が高いのは、30年目の社員のほうが扶養家族ができたり、年相応の身なりをしなければならないからです。
昇進して給料が上がるのは、重い役職についてストレスが高くなるからです。
年収1,000万円でも幸せになれないのはこういう背景があるからなんですね。
まとめ
今回は、「超入門資本論」から「価値」と「使用価値」について触れました。
給料の決まり方を知ると、今とは違う働き方を始めなければならないと痛感しました。
「剰余価値」については触れませんでしたが、この言葉には今回書いた以上に悲惨な意味が込められていました。
冒頭にも書いた通り、野球のルールがわからないのに打席には立てません。
今よりも豊かにいきたいのであれば、まずはこの社会のルール『資本論』を知ることから始めてみるといいのではないかと思います。
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