相手を思いやり、慈しめる心の深みを品格という「経験が語る事実と、私のフィロソフィ」、あなたと本当の勇気を分かち合える為に書きました《私があなたに伝えたいコト》:自己紹介も兼ねて☆彡
プロローグ
起
承
転
結
プロローグ》
私のフィロソフィは「思いやり」だ、というと、「ちょっと、いきなりですか??《笑」、と、あからさまに言わなくてもと、顰蹙の声も聞こえてきそうですね。
もっと言えば、「品格を磨き続けること」なんです。
あるベンツ乗りのMr.オジサマが、いつか僕に言ってくれたんです。
「何かが起った時にレベルが下がるのなら、それは品格と呼ばない」、と。
この言葉を聴いて、本物とはどういう人を、存在を呼ぶのかということを感慨深く感じたのを覚えている。
世界最強の兵法書と言われる「孫子の兵法」など、騙し合いの世界だが、
そういう大切な場面《大切な存在を愛し護る為の》での、巧みで卑怯な渡り合いを含めてのレベルも高さが下がらないということだ。
先日、このような記事を書いた
自分の何かを高めていくために、有料記事も織り交ぜていきたいと思っているさなか、書いてみた代物。
実際購入してくださった方もいてくれて、嬉しかった。
品格とは何かという、自分の感じていることを伝え、皆さんにもこの時代がともすれば忘れてしまっている、しかし思い出し取り入れてみれば、「あ、これ生きやすいな、自分に誇りも持てる」、そう考えなおすことも可能な記事だと信じている。
たくさんの凶悪事件の情報や、廃頽した人間性がむき出しになっているこの時代、一握りの富裕層に、やみくもに怒りを向けるのでもなければ、例えば自身が富裕層でないことを恨むのでもない、誇りを持ってほしいと、そのヒントを私なりに書いてみてある。
きっとお役に立てると思うので、よかったら、是非読んでみて、感想なども頂ければ、なお嬉しい。
起》
僕が品格というのにこだわるには、理由がある。
幼い頃いじめ、嫌がらせという現実に向かい合う中、
人間の尊厳や、心の美しさ、高潔さというものを若いながら考えるようになったからだ。
その為、若い頃は、小学生の時から政治家や、新聞記者という職業に憧れ、将来は正義を実現・具現できる主人公でいたいと、その為の努力を積み重ねてきました
中学の時から、小遣いに関係なく読めるから、(家にあった)現代用語の基礎知識を読み漁り、高校の時は日曜日の朝、眠い眼をこすり、渡部昇一の新世紀歓談、報道2001、日曜討論・サンデープロジェクトをくまなく見、金曜日の朝まで生テレビも必ず見るという、右派から左派までの世界に偏ることなく、勉強しつくしてきました。当時の友人たちにすれば、そんな政治マニアの俺のことがおもしろく見えたかもしれない。しかし至って私は真剣でした。
その根底にあったのは、人の世の尊厳を回復さられる自分でいたいと、
そう願って、心を実践に移していたのです。
大学時代は、友と「有志語る会」というサークルを結成し、
大学の門の締まる深夜10時まで社会について議論し、
門が閉まれば、雪の降る下、門の外で議論を続け、下宿へ帰るというありさまでした。
私が今、描いている少女の絵、よく、可憐だと、儚くて美しいといってもらえます。
でもなぜその絵柄を貫いているのかというと、それには訳があるんです
明確なわけが、こだわる理由が・・・。
それは先に申した、人間の尊厳ある社会を作りたい、取り戻したい、
品格ある、思いやりの、慈しみのある社会を、
誰も分かってくれないなら、自分の手でつくっていきたいと思った、そういった理由からなんです。
その気持ちで僕は20年間、少女の絵を描き続けてきました。
承》
「描けなければ描け!」。
バレーボールの「成せば成る!」をまねた言葉を自分でつくって、
女性の絵を描けなかった私は、女性を描けるようになっていったのです。
今では絵の注文を頂いたり、少女のブローチシリーズを買ってくださる方がいらっしゃったり、ポストカードをダウンロードして買って下さったり、お代はいらないといえば、バーバリーのハンカチをくださった方も、いらっしゃいます。
先日書かせていただいた、Post Card にかけた想い、の記事も、
そういった社会的貢献、人の世の尊厳回復を、自分の手で始めたいとの気持ちで書かせていただいたものであり、
行っていることも、その気持ちで始めたものです。
またそんな私の心情と行動を、理解してくださる方もいてくれるようになってきました。
その一人、松下友香さんが、私を紹介くださった記事です☆彡
そうやって社会の本物の品格(思いやり)、そのものをレベルアップ、また深みあるものにしたいと考え、想い、願い、走り続けてきた私。
話の続きになりますが、学生時代、自分がもともと学びたかった大学の、編入学試験の筆記テストで、これまで自分が考えてきたことをぶつけられる問いが出たのです。
見事、試験には通り、政治学を学べる環境を手に入れ、
またその勢いで、新聞社で記者を始めました。
その働きぶりから、ある大手新聞の方(後幹部)から、是非わが社で記者をやって欲しいとの言葉を頂戴したり、
別の大手記者の方から、ウチの新聞で彼の記事を扱いたいと、社長に伝えられたり、
嬉しい言葉をたくさん頂けました。
それらは僕が真面目に、誰に何を言われようと思われようと、やってきたことが実った、誇りある名誉のひとつなんです。
嫌がらせを受けても、それを目の当たりにしても、言葉は上手く言えませんが、愚直に社会と向き合い、社会を変えようという姿勢があれば、拾う神もいてくれる、そんな風に思えています。
ただ、ある意味常軌を逸したくらいで打ち込む覚悟がないと、
もしくは丁寧に続ける実直さがなければ、
社会そのものを変える人材として、「いわゆる本物」たちに認知されること、声をかけてもらうことはなかなか難しいです。
でも人間って、その気になればできると思うんです。
自分がやりたいこと、変えたいことを、すべて欲張らずに、一番核心的な点に絞って、一点突破を図ることによって、人は心震わせられ、運も味方し、自分が認められていくようになる。
そこには美しさや自分達にはなかったひた向きさ、そして、私がここで扱っているテーマである、品格が映るからだと思うのです。
転》
品格には人の心を震わせ感動させられる何かがあります。
私には品格があるとか、断定したことは言いません。
でも、品格を意識して、いや、思いやりや慈しみの心を大切にして生きていれば、それが品格となってその人物に映るんですよね。
様々な、これらの結果が、そのことを証明していると思うんです。
だから僕は、このことを胸を張って言えます。
そして人生の誇りとしているし、その得たものを墓場まで、あの世まで持っていこうと思っています、それだけ誇れるものだから、誇りたいものだから・・・。
そうやって、懸命にひた向きに生きていると、やっぱり、ユングで言う、シンクロニシティ(共時性)って起こってきて、自分が出会うべき仲間と、出会うべくして出会っていくし、
先日紹介させていただいた、岡崎さんとの出会いだってそうだ。
人生そのものの本物の循環が、どんどん起こっていくものです。
僕が現在行っている事業の、私の美術作品のオンラインショップも、
そういった私のこれまでの人生そのものの結晶のひとつで。
ここからも作品を購入いただいたり、
このサイトをきっかけとして、私への評価が社会的に高まったことも本当なのです。
結》
実際驚かれたりしていますが、
私はこのことを、奇跡とは思っていません。
始めは奇跡を起こすんだという気持ちがありました。
でもいつしか、その奇跡を起こすのは、自分の心だけではない、
社会にある、遍くみなさんの心なんだと思ったのです。
その心どうしが共振共鳴し合う、
その美しさが、何も特別なものではないと気づいたとき、
僕はそれを奇跡とは思わなくなりました。
人として当たり前のこと、思いやり、気持ち、努力、懸命さ、愛情、友情、心情が起こすことなのですから。
だからこの混迷を極める時代でも、夢、志、目標を持って、なければ探し、
素敵な素晴らしい人生を、そんな人生とは何かに気付いてもらって、また、今、とても上手くいっているのであれば、さらに僕の記事で、人を思いやる気持ちを大切にすることを確認し、明日へ向かってほしいと思うのです。
今、つぎはぎだらけの心ならなおさらご自身の誇りを確認できると思います。
個人も組織も、力の強いものと、立場の弱いものが、上手く手を取り合い素敵な社会をつくっていく、そんな夢を私はいつしか抱くようになりました。
それが私の確乎不抜の志です。
どうか、ことの大小ではなく、強い夢をもって生きられるよう願っています。
「愛がなければ大差ない」、私の大好きな唄のワンフレーズです!
《 人は品格です 》
進んで行きましょう!!
Rose