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いのち(だいじに)の電話

昨日は寝る前に居た堪れない気持ちになった。無性に寂しかった。さっき診察に行ったばかりなのに。この空虚感に耐えられないならいっそ死んでしまいたいと思ってレキソタンを数錠飲んだ。1日にゆるされる量だけ。

レキソタンでゆるゆるになって眠たい頭で、いのちの電話とそれに相当する団体に電話をかけた。ハナから期待してなかったけど、電話は繋がらない。ただでさえ担当員の少ない時間帯なのに、皆様がたのメンがヘラる深夜、そりゃ殺到して繋がらないだろう。
5時ごろ目が覚めたので、24時間対応のところにかけたらまたダメだった。

これ以上給料が減ると困るし有休も使いたくないので、今日は頑張って久々に作業所復帰。作業を変えて貰ったら気が楽になった。どうせ無為な作業やが。

終わると同時にベッドで寝たきり。
そんで、今なら繋がるかなと思ってかけた。大阪のはダメだったので近隣の他府県の番号へ。

繋がるとは思わなかったので、なにか言わなきゃと焦り
「お忙しいところすみません、死にたいのですが」
前の文章と後の文章がこれほどチグハグな言葉を発したことないなあ、と思いつつ、10秒経ってそうですか、お話を聞かせていただいてもよろしいですかという言葉を貰った。

慢性的な空虚感で死にたい、安心感を得たいということ、母親は生きているが母親がほしいということ、つらつら話した。
受け止めて下さると同時に、「母親がほしいとおっしゃりましたが、どのようなお母さん像がほしかったのですか。差し支えなければ、幼少期のお母様とのエピソードについて教えてください」と質問された。虐待ではないんだけど、全てにおいて寄りかかってこられるのがしんどかったことを話した。それは安心できないでしょう、と言ってくれた。
電話の最中にインターフォンがなり、Amazonからの荷物が届いた。昨日壊れた充電器を注文していた。
いや私、死のうとしてへんやん、と言って笑った。(相手も困った感じで笑ってた)

わたしは対人恐怖症で人と関係がもてず、あなたのように安心して受け止めてくれるような方でないとこわいんです、と言った。
電話しているうちに、大人になったら誰も無償の愛はくれないし、空虚感も孤独も受け入れて妥協して生きていかなきゃならないんですかね、という結論に自分で至ったので伝えた。肯定も否定もしなかったが、
「あなたは若いし賢い方なので、いつかあなたのような人と関係が持てたとき、きっと気持ちがわかりあえるのではないですか」と言われ、それ若干共依存じゃねえかと思わなくもない。けど、しっかり話を聞いてくださった感謝をお伝えし、40分間の電話は終わった。
傾聴するということのなんとむずかしいことか。私なら余計な口を挟んでしまいそうである。

死なないため、生きるために予定を入れているところがある。
明後日は最終面接と作業所の出頭(通所とは書かない)日、本も借りたし、土曜日はデイケアだし、なんとか合間を縫ってシルクロード展にも行きたいし。ハローワークも行かなきゃ。
身体が動かないけど。

今日も眠る前にまた空虚感に襲われている。
理屈ではわかっているのに受け入れられない。
考えないようにしたい。

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