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「一人称単数」(著:村上春樹)を読んで


私の2025年1冊目の読書は村上春樹さんの「一人称単数」からスタートしました。本書は8作から成る短編小説集です。

実を言うと、この本は去年の秋ごろに購入して一度読み始めました。でも物語の中に深く入っていくことができずに一度読むのを中断。新年が明けてから「今回は読めるかな?」と開いてみた本です。去年とは違い、今回はスッと物語の中に入っていくことができ、読了できました!

本書に収められている短編作は、

1)石のまくらに
2)クリーム
3)チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ
4)ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles
5)「ヤクルト・スワローズ詩集」
6)謝肉祭(Carnaval)
7)品川猿の告白
8)一人称単数

「一人称単数」, 村上春樹, 文藝春秋, 2023年


の8作品。
どのお話も著者・村上春樹さんが自分の過去を回想し、記憶を辿りながら当時に思いを馳せる内容です。

自分の人生をふり返るきっかけをくれる一冊

収録された8作品の中でも特に印象的だったのは4作。著者の人生で起こった出来事や思い出を回顧しているのですが、なんだか自分の人生にも似たような気持ちになったことがあるような気がしたのは、私も歳を重ねてきた証拠かもしれません。

ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles

歳をとって奇妙に感じるのは、自分が歳をとったということではない。かつては少年であった自分が、いつの間にか老齢と言われる年代になってしまったことではない。驚かされるのはむしろ、自分と同年代であった人々が、もうすっかり老人になってしまっている……とりわけ、僕の周りにいた美しく溌剌とした女の子たちが、今ではおそらく孫の二、三人もいるであろう年齢になっているという事実だ。

「一人称単数」, 村上春樹, 文藝春秋, 2023年

こんな書き出しではじまる『ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles』は、ビートルズのLPを抱えて高校の廊下を歩いていた名前も知らない少女と、当時世界的に大ヒットしたビートルズの音楽、そして当時付き合っていた彼女の話を交差させたお話。

アラフォーになって気付いたことですが、私が20代の頃は40代の人たちのことを「おじさん・おばさん」だと思っていました。今年、四十路を迎える私の心持ちはまだまだ20、30代の頃と変わらないつもりなのですが、やはり世間的に見るとおばさんになりつつあるんでしょうね。

著者と同様、私も中学や高校卒業以来、一度も会っていない同級生が結婚し、子どもを産んでいるなんて話を耳にすると妙に不思議な気持ちになることがあります。記憶の中の同級生は当時の記憶のままで残っているからこそ、現実を知るとそのギャップがうまく埋められないのかもしれません。

また学生時代に聞いていた音楽や流行っていた音楽も自分の意識をその当時に連れていってくれますよね。著者にとってビートルズ現象が起こっていた当時と、その頃の思い出を繊細に織り込んだお話でした。

「ヤクルト・スワローズ詩集」

ヤクルト・スワローズのファンである著者が、大学へ通うために関西を離れ、神宮球場へ足を運んだ思い出が綴られています。

印象的だったのが、

人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の知恵は「どのように相手に勝つか」よりはむしろ、「どのようにうまく負けるか」というところから育っていく。

「一人称単数」, 村上春樹, 文藝春秋, 2023年

というちょっぴし深い文章。

またこの作品には少しだけですが、著者の幼いときのお父様との思い出なんかも入っています。村上春樹さんの「猫を棄てる 父親について語るとき」も読んだのですが、著者はお父様との関係があまり良いものではなかったと綴っています。そのお父様と野球の小さな思い出は妙に私の気持ちを温かくしてくれました。

謝肉祭(Carnaval)

彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった――

「一人称単数」, 村上春樹, 文藝春秋, 2023年

こんな女性の外見の悪さを堂々と評する書き出しではじまる『謝肉祭(Carnaval)』は、正直、女性の外見を辛辣に描くことに衝撃を受けました。(ちなみに著者はその女性を嫌っていたのではなく、むしろ良好な友人関係を持っていた。)

この作品は最後に出てくる

それらは僕の些細な人生の中で起こった、一対のささやかな出来事に過ぎない。(中略)しかしそれらの記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。

「一人称単数」, 村上春樹, 文藝春秋, 2023年

という部分。時間と思い出の相対関係のような奥深さを感じさせられました。女性として(というよりは一人の人間として)ここまで外見を辛辣に評することに関しては、不快に感じなかったと言うと嘘になってしまいますが・・・。

品川猿の告白

群馬県の寂れた古い温泉宿で、著者の背中を流してくれた猿のお話。

物語は、村上春樹さん独特の筆致によって非日常の世界に引き込まれていきます。確かに起こったはずなのに、記憶や感情は時として曖昧で、時に不確かさを伴います。それが、この物語を読んでいる私たちにも「記憶とは何か」「時間はどのように流れるのか」という疑問を投げかけてきているような気がしました。

古い記憶を辿りながら感じる人生の出来事と時間の相対性

読み終わって湧き上がってきたのは「生きていて、実際に感じることが書いてあった」という感情。

自分の人生を振り返ってみても、不思議なめぐり合わせや、その時はなんとも思っていなかったけれど今思い返せば自分を大きく確立させた出来事大きな出会い・別れなど様々な出来事や経験を通り抜けてきました。

すぐに「これは大きな分岐点だった」とわかるものもあれば、長い時間を経て、あるいは自分の人生を振り返ってみて「あれは今思えば大きな分岐点だったなあ」と思うものもあります。思い出を振り返って純粋にノスタルジックになる出来事もあります。

村上春樹さんの「一人称単数」はタイトルが示すように、すべて「私」という一人称視点で語られています。そして、著者の人生にあったいくつかの出来事を辿っていくのですが、記憶や感情は時に不確かさを伴います。

読み進めるうちに、自分の過去と現在が交差し、著者と似たような気持ちに浸る瞬間が幾度となくありました。物語が心の奥深くに響き、思わず立ち止まって、自分の人生を振り返りたくなってしまうのです。

「一人称単数」は短い作品が収録された短編小説集なので、長編小説を読む時間がない方や気軽に読書を楽しみたい方におすすめです。短編というスタイルだからこそ、一つ一つの物語が余白を持ち、自分の人生の出来事や思い出、記憶をふり返るきっかけになるかもしれません。

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