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重さについて

私は命の重さがわからない。
21gという説があるが、1907年のずさんな実験結果によるものだ。
そんな数字より概念としての重みを言うことが多いし、私の思うところもそれである。

以前、私は大変死にたがっていた。
そういう気持ちは同じ気持ちのものを呼び寄せる、などという説もあるが、単にわざわざそういうものを探しだして身の回りに揃え、それにあてられた周囲が同じような気持ちになっていくだけのことである。
気持ちではなくて自分が意識的に呼んでいるだけだ。
自分に似ているものに囲まれるのはとても心地が良い。

そうして、かつての私の周囲にはそれはそれは死にたがりが多かったし、実際死んだ。驚くほど死んだ。属していたとあるコミュニティでは7人くらいいたはずだが5人は死んだ。ばらばらにだ。残ったひとりは私で、もうひとりは10年くらい前までは生きていたと思う。今は知らない。
それ以外にも驚くほど続き、私も例に漏れず死んでしまった。事故だ。


しかしその瞬間は病院内で治療中のことだったので、無事電気ショックで「元気に」生き返った。目覚めた瞬間、私は言った
「学校にいかないと、今日撮影があるんです」。
そして、本当に学校にいってしまった。さっき死んだのに。

……ということを、私は夜の夏目坂をのぼりながら「昨日食べた餃子がね、」というようなノリで友人に言ったのだ。昨日わたし死んだんだけど。
めちゃくちゃ怒られた。

そこで初めてわたしは怖くなった。死ぬことが怖くなった。

おそらく。私は死がわからなくなってしまっていたのだ。小説を読み、書き、写真や映画を撮ってはモチーフとして扱い、死のうとしても何度も助かり、そう、あまりに軽率に死んでいたのだ。

もはや何と言って怒られたのかも覚えていないが、とにかく、夜の夏目坂の途中で私は電話を握りしめて泣いていた。泣きながら、曙橋の自宅に帰った。ただ、どうして怒られたのかは分かっていなかった。

これが1回目だ。

その後、何年もかけて同じことを繰り返した。
死ぬのが怖いから死にたい、という自分でも整理のつかない不安でいっぱいになっていったのが理由だった。

しかし本当に死ぬのが怖くなってしまったのは、ある緊急手術を受けた時であった。
指でつまめる程度のサイズの臓器に腫瘍ができ、両手で持っても溢れるほど腫れ上がり、癒着し、他の臓器を圧迫、破裂寸前だったのだ。
「これで死ぬ人はまずいないのだけど、あなたはもしかしたら死ぬところだったよ」
あまりにも恐ろしかった。
己でコントロールできない死が、あまりにも恐ろしかったのだ。
この体は死のうとしても死ねなかったり、死にたくないのに簡単に死ぬ。
それが怖かった。
これで、正体が見えた。

そこから少しずつ、何年もかけて、周囲の人たちがかつての私に言ったことを理解していった。
同時に、自分が命を軽んじていたわけでもないのだ、という答えも手にしていった。

個々人によって、そしてその時によって、命の重さは変動するのだろう。
なぜかそれは、何かとの相対評価的な重量を求められていることが多いように思うが、果たしてそれでよいのだろうか。私は、絶対評価であり可変するものだと、これは死にたがらなくなった今でも思う。どうして命の話になった途端に、急にみんなで同じ物差しを持ち出すのだ。
私にとっての重さ、あなたにとっての重さ、それはどうしても同じにならないのではないか。
恋人と仕事の優先順位がひとそれぞれ違うのと、何が異なるだろうか。

ただ私は、その価値感、己の中の基準を振り回しすぎていたのだ。私の中の命の重さ、その重みの怖さを遠心力に任せて振り回していた。そうして他の人の基準にあてはめてみることなど思いもしなかったのは確かである。
最終的には自分は自分、で良いのかもしれないが、それではあまりに他人の重みを軽んじている。

命の重さが21gだとしよう。
月にいけば3.5gか。もとになる身体も同じ割合で軽くなるのだから、決して命だけが軽くなったわけでもなかろう。
それでも地球基準で考えていると一瞬思うわけだ、軽すぎる、と。
立っている場所も、違うのに。

「重さについて 2021-03-07」

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