黒沢清『Cloud』
大傑作。
黒沢監督の作品は、日常をパーフェクトな無意味として演出します。
そのため、脈絡の無いように見える展開にこそ価値があります。(本作ではアクションシーンについて物語上の因果関係は全くありません。唐突に発生しますが、面白いから良い。)
モチーフの転売については、例示であって、テーマではありません。
そのためテーマが反復され、一見同じようにみえる物語(特に構図)についてのマッチングが醍醐味です。
ある種に固定的で不変に思える人間の存在が、時代の中で変化しているように思える事実。そこにこそ映画が必要とされる理由ではないでしょうか。
ネタばれ。
システムが意識されるのが映画のテーマでして、そこからの命がけのジャンプが重要です。
この作品では、転売それから、それに対する逆恨みともいうべき感情を持った登場人物が次々に現れます。
良く観ていくと、それぞれの人物が別の動機から、同じ目的に向かって集合します。
(全く無意味な動機や、理解不能な動機ばかりです。)
クラウドとは、ネットのルフィのような犯罪者集団について言っているように感じますが、現代社会そのものの不可能なたたずまいに向かいます。かなり深いタイトルです。
システムを考えます。
転売のようなフリーライダー(濡れ手に泡)は、反感を持たれますが犯罪行為ではありません。
一般的な市場のルールを逸脱している事は間違いないでしょう。私もやりたくないし、嫌な感情はわきます。(程度の問題ですが、本作では犯罪と思しき箇所もあります。法規制に抵触する事実性。)
ところが、これに対する過激な報復は、完全に犯罪行為です。
通常は、映画は、システムに対する逸脱としてアウトローが描かれることが多いです。
この場合は、転売は、システム内部での、やや逸脱という事で、グレーゾーンだが、逮捕するまでではない。
つまり、システムの逸脱としてグレーゾーンで、時には違法な取引も含む状態は、それに対する暴力的な犯罪行為によって取り締まる。
民衆の反乱や、内戦のような状態になります。
ここでルフィのような暴力を伴う犯罪を考えます。
正当防衛として認められば反撃は許される。否、犯罪に対する特殊法が適応されるので、報復可能です。
刃物を持った殺人者は、殺人者であると法的に判断されれば、その場で対処しなければ被害は拡大する。
状況によって法的な取り扱いは、異なり、市民は状況の空気を読み、柔軟に対応しなければならない。
自分の命は、守らなければならない。
犯罪者は、上にあるシステムによって裁かれるわけです。
テーゼ。凶悪犯人は、その場で始末せよ。
これは、自治的な営みとなりますが、一方では近代国家の信頼関係は、警察機構の問題として現れます。
(一般的には、現場レベルでは、警察官は意識高く職務を行なっていますが、組織としては全ての事案に対処する事は出来ない。特に転売は、一部で違法な部分を看過する事できず、そこに市民は葛藤します。)
こうした社会の危機は、システムの逸脱(映画のヒーロー、例えばパルプ・フィクションのチンピラ)こそが悪であり、システムの中で機能する別の悪がヒーローであるという構図です。
この映画では、主人公に対する相棒(アシスタント)が超越論的なヒーローとして存在します。
社会の現実に対して、江戸時代のショウグンが行うように、チンピラにはチンピラで対処するという図式でしょうか。(シティハンターでも良い)
これについては、黒沢監督が、告発するような社会の問題意識が非常に辛辣なもので、解決は無いですよ。ここまでひどいのですよという状況なのでしょうか。
以上の図式を念頭に置くと、ヒロインの、資本主義的な欲望が強いタイプは、ノーマルな日常ではやっていける。しかし度を超えて逸脱しまうと、強盗の恐喝を行なってしまう。ゆえに排除される。
システム(例えば資本主義の市場)のルールを守っていれば、蓄財は賛美されるが、ルールを逸脱は許されない。
システムの逸脱は、システムによって排除するのですが、そこで私達は、この社会がどうなっているかというホラーを感じてしまうのです。
この意味は、深淵な問題点です。
ルフィの、ほくそ笑みは、まさに社会のそれだという。最終審級は、非常に重要な警告であるという事です。
闇バイトの本質を、社会のあり方について指摘していると思われるます。
まとめ。
アナーキーな状態は否定されるが、自治的な営みは重視されるのが現代社会である。
資本主義を否定する事は出来ない。(今日では、修正されていて、資本批判は、別の形となっている。)
社会についての考察は、映画の悲劇を、もっと良く考えなければならない。
システムは、それに対応する人間が、システムとして機能しながらも、様々な問題を内部で解決し続けなければ続かない。
この点では、社会の犯人探しは、イタチごっこでメビウスのようにループしてしまう。
この問題意識は、広く国家の機能と、市民社会のあり方について非常に深い洞察であって、黒沢監督の思いを受け止める事が不可欠です。
大傑作。