クズの社会学 宮台真司他『音楽が聴けなくなる日』
家で過ごすひととき、音楽を楽しもうとしたら、無音。
配信が停止されて聞くことが出来ない。
世の中には、いろいろな自粛があります。この本のテーマは、音楽を含むアートの自粛です。
まずは、クズの定義から始めます。(約2700文字)
始めに:クズを定義する
まず注意するべきなのは、「クズ」という用語の一般的な意味との区別です。哲学や思想用語と同様、専門用語と捉えて下さい。
日本の現状として、社会の変化により疎外された国民のクズ化が進みます。①言葉の自動機械化は、言葉を字義通りに捉え何も考えないで行動すること。②法の奴隷化は、法律の文言に固執し何も考えないで行動すること。③損得マシン化は何となく解るでしょう。
例えば、「自粛警察」は、一見すると②法の奴隷化のようですが、法律の範囲外の事柄である自粛を強要するものなので、①言葉の自動機械化していると言えるでしょう。
「自粛警察」は孤立化した個人が行っている場合が多いと考えますが、特定の団体のために③損得マシン化し忖度をしている場合もあるでしょう。
問題提起:電気(グルーブ)が聴けなくなる日
この本は、3人の共著という形式をとっています。まずは、第一章の永田夏来さんの主張を紹介します。
永田さんは社会学者で、電気グループの音源自粛撤回の署名活動を行った方です。電気グループのメンバー、ピエール瀧さんが薬物使用で逮捕されたことを受けてのことです。
作者は、常識を疑うことを主張します。音楽作品や映像を含む商品は、さまざまな人が携わっている為、ひとりの逮捕で全部を自粛するのは、おかしいのではないか。個人の問題を離れて、作品を裁くべきかという問題点です。
会社側は、事なかれ主義と前例主義に堕し、コンプライアンスを盾として、非合理的な行動をとっています。
本来は、ファン(顧客)の為に行動するべきなのに、一部のアンチの為だけに行動しています。アンチとは、謎の正義感を持つ人やバンドを嫌いな人でしょう。潔癖とか神経質という表現が当てはまります。彼等は刑事事件の被告に対して拒否反応を示します。
永田さんは社会学者の視点から、こう解説します。現代社会は、リキッド・モダニティー(バウマン)と呼ばれる流動的な社会です。そのため、多元的な自己(リースマン)を意識して、他者との関係において自分を定義する姿勢が必要です。
流動的なリキッド(液状)に対して、水のように柔軟に対応することでしょうか。
続く2章では、音楽研究家のかがりはるき氏が、自粛に関する具体例が示されます。槙原敬之さん、ASKAさん、長渕剛さんなどです。
次の「解題」では、「クズ」とアートについて解説します。
解題:アートが無くなる日
まずアートの定義をします。アートとは他人を傷つけるものです。批判や批評の場合、メッセージ性があるゆえに、対象の人は傷つくかもしれないということです。
「お笑い」を考えてみましょう。これも他人を批判したり、からかうことがあるので傷つく可能性をはらんでいます。
このように、アートがもともと傷つけるものなので、「プリアナウンスによるゾーニング」により見たくない人は見れなくしたり、正しく解釈してもらう事は重要でしょう。
「法と道徳を分離する」ではアート=傷なので道徳とは異なることに理解してもらうことです。
本書では、歴史的に振り返る事によってアートと道徳との違いを解き明かしています。一見、アート論に思えますが、本質的な考え方なので色々な事に応用可能です。
本書で重要なのはカント哲学です。一般的にカントのアート論は判断力批判ですが、本書では、純粋理性批判と実践理性批判を主に用いて解説しています。
私は、難しくて全部は理解出来ません。道徳とアートの違いに注意すれば理解できるはずです。
ベストセラーになったマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』では、カント哲学が解説されていますので、お持ちの方は参考にするとわかりやすいかもしれません。(定言命法についてです。)
まとめます。音楽を含むアートは、個人の道徳の問題なので、安全安心を前提としていません。法と道徳の境界が、歴史的にあいまいになることによって、現代アートはそもそもの本質がわからなくなっていることが危険です。
そして、本質を失ったクズは、人間ですらないのかもしれないという問題点です。
解釈:電気が無くなる日
ここでは、本書の趣旨に関して検討をしていきたいと思います。
安易な自粛を行うような社会では、全てが自粛対象になり得ます。例えば、電力発電は様々な問題を孕んでいるため、幾らでも文句をつけようとすればできます。しかし電気を止めろとまではいきません。(電気が無くなる日)
もちろん、単純化する事のできる問題ではありませんが、自粛の場合、どこが基準なのか曖昧な点があります。この点は議論が必要だと思います。
例えば、不祥事が起きた場合は、CDパッケージに、ごく小さく事件の報告をするだけにする。それが出来ないのならば、こう表記するべきです。「この商品は、関係者が不祥事を起こした場合、自主回収する恐れがあります。自粛による経済不利益は全て当社が負担します。」
また、映画の製作は数億円以上になる場合が多いでしょう。自粛させたら、損害賠償は幾らか。リスクはできるだけわかるほうがよいのではないかと考えます。そもそも目に見えないリスクなんて無いという視点も重要かもしれません。
そして、クズの定義上、完全に損得を考えずに生きていくことはできるか。人間は利害関係の生き物ですから完全に損得から逃れることはできません。
結論としては、自分の「クズ」を自覚せよ、につきると思います。
最後に
3人の怒れる作者達は、本書の出版後、YouTubeで議論をしました。
宮台氏は、検察官定年延長についてこのような事を、おっしゃっていました。
検察OBの反対表明は美談だが、彼等は老いている、と。引退された方は、利害関係がないので自由に行動できます。現役の人は、自らの生活があるのでこうはいきません。
物事の本質を懐疑的に捉える。そしてクズをしっかり見定める。自分自身も例外ではありません。
一言でいえば、「自由からの逃走」エーリッヒ・フロムではなく、「クズからの逃走」でしょうか。
リンク:YouTube動画
「100分で宮台」は、是非ご覧ください。長尺なので、番組の後半から視聴いただければ、大体のことがわかると思います。
ポイントとしては、宮台氏が、過激な発言や口汚い時は、逆のことを言っているということ。公共性や人間らしさについて語っているという解釈が重要だと思います。