『マンガで読む資本とイデオロギー』ピケティ

このコミカライズは、なかなかに原作を上手くまとめている。物語として面白いのです。

スラヴォイ・ジジェクが、ユートピア主義と断定したような部分は、いくらかカットされているような気がする。(注1)

ジジェクが行うような過剰な批評は、そのポイントが、どこに有るのかを吟味しなければならない。

(ヘーゲルかカントか。精神分析批判か、精神分析か。などなど。ジジェクはイデオロギーという語句を不可能なものと明確に定義している。)

目次を見て、年代で並ぶ配列は、何を表しているのかなと一瞬思ったけど、一族の歴史だねこれと理解しました。

相続による格差と税制の問題が描かれます)

ピケティの大著での分析が、いきいきとした人物描写で表現されている。

20世紀の始まりがオープニングで語られ、本編は1789年、革命の年から始まる。

以前、原作本に挑戦した事がありました。

ピケティの金言は、原作本を、最初から最後まで全部読めと、鈍器(本)をめぐるドン・キホーテとなる事を強制させる。

仕方なく、はいはい読みますよ、と、飛ばす所はありながらも、順番に読みます。

レストラン・チェーンの小さなデスクに乗せると原作本は、注文の店員さんも、分厚い鈍器に、ビックリしていました。

ニンニクなら潰せそう。

お店は時間制限もあるので、集中して読めました。100ページくらいだったと記憶してます。

(1000ページを超える本の場合、飛ばし読みでメリハリを付けつつ、熟読する箇所を検討していきました。大著は重厚さを、歴史の重みに対応させるかもしれない。)

革命としてのミル

本書マンガで読む資本とイデオロギーは、ビジュアル面で良かったというのは、原作本の弱点があったからです。

膨大なデータを図表は多いのですが、いわゆる神プレゼンみたいな分かりやすいイラストで、カラフルで、原作の白黒よりオシャレでもある。

データは、差異と配列の変化を劇的に表現して一目で解ると良い。

格差は際立ち、印象も変わるかもしれない。ここでスタイルが加われば、アートの方へ向かえる。)

テーマの中身に行くと、歴史的な出来事は、ヘーゲル流に繰り返される。

ただし、始めは、悲劇として、次に喜劇として。

これを、(JS)ミル流に言い換えると、為政者の行う政治は、大事と小事の区別が出来なければ、愚か者として未来永劫、歴史に名を刻むだろうと。

自由論。この著作では、自由主義は、ほどほどにね、という内容で、他人に危害を与えないという条件が自由であった。

ミルが天才と呼ばれるのは、数学、論理学、功利主義、経済学などなど、重要な功績があるからである。

1848年は、ミルの経済学原理が発表、当時の経済学のスタンダードだった。同年が、マルクス『共産党宣言』。)

2024年フランス大統領が宣言するのは、小事は、大事の後に、速やかに行う。

ポスト・アポカリプス的な祝祭が、ホラン・ピックであっても、マカロン・ピックであっても、変わらない。

小事は、組閣。大事は、祝祭だった。

さてさて、大事は、ネオリベラリズムに対応するのだろうか。

(この点では、ポスト・ポストモダン風のイデオロギーなら、マクロンはイデオロギーの不可能性によって、正当性を持つ。批判は、王は王であるという前提のみによって成立する。)

事実としては、ヘーゲル的な弁証法を用いて、悲劇は喜劇として終わる、これはコメディーになるのだろうか。

ここでは、アートを含むカント・システム(ドゥルーズが考えるようなカントから始まる現代思想生活の、オープニングの部分)が意識されないのは、フランスのポストEU的な政治だろうか。(注2)

本書の内容をピックアップ


20世紀以降が面白く感じました。

右派と左派。映画のカメラの位置が反対側に変化するように、右と左が逆になってしまう。支持者の階級が、逆転してしまう。

本書では、パンドラの箱という概念を登場させています。

開けるな、何もするな、押すなよ押すな、という意味で、あらゆる社会制度の矛盾点を放置する事を批評しています。(この点でコミカライズは物語として面白みがある。)

これは、歴史修正は為さずとも、時間の経過が解決する。忘却の箱は、何も出来ないのなら、消極的に、積極的なイデオロギーを維持してしまう。

これは、ピケティの主張するような制度革新には、立ちふさがる壁と言えるでしょう。

本当の問題は、イデオロギー以上に理解しがたいものかもしれない。

終わりに

さて、2020年に発表された本書マンガ版の後の歴史を考えましょう。

イギリスでは、過激派ネオリベラリズムのリーダーの反乱が起き、(覇権国から)国家の衰退という現状が、通貨の切り下げによる滅亡を、すんでのところで免れた。

その後の、さらにネオリベ的な政治により混乱を、現在では、20世紀的な混乱に再び戻っているようである。

それまでイギリスは、シティという象徴であり、金融を主とした、海賊王の国家であった。

比較して、近隣のロック・バンドU2のアイルランドは、最富裕国の一つである。

フランスでは、ジジェクが言うような、ネオリベと極右の対決が2度繰り返され、3度目は、左派が加わった三つどもえへ。ピケティも関係しているようです。

イタリアでは、極右のポジショニングを、これは、直接でなくとも世界をアンバランスなものにしているかもしれない。

帝国ネグリもなく、時代は一層の変化を混沌の中には、ポストアポカリプス的な時代は、加速主義のような楽観(悲観による楽観)で逃げ切る訳にはいかない。

これはイデオロギー自体の持つ複雑さでしょう。

歴史の評価は、振り返って冷静に考えてみれば、ひどい政治家だったねという、歴史学へと至る過程を経なけれならない。

この歴史的な時間軸が、学問として成立するまで待たなければならないが、世の中の現実のスピードとは、まるでかけ離れた次元にあると、思うような、思わないような内省でもある。

そういう視点では、未来を照らすピケティは良いですね。

不確実性を希望だとは思わない。ヘーゲル的な歴史として、ピケティは哲学者であると、本気で高評価はします。

パンドラの箱。その行方。

おわり。

・・・・・・

注1、ジジェクと読むピケティ

ピケティの処方せん(解決策)は、全くユートピア主義だと思うのだが、インドの民主化プロセスに、将来的な民主主義国家の理想を見いだすのだが、近年の現状は、アジア的な開発独裁のパターンに、類似しているのではないかと。

これでは、よき民主主義国家のポテンシャル(可能性としては、これはあります)を鵜呑みにしてギャンブルをする訳にはいかない。

注2、ヨーロッパの政治学

フランクフルト、通貨マルクの覇権は、二十世紀的なメルセデスについて、大事と小事を区別しなければならなかった。

単一通貨のメリットは、製造業の雇用問題であり、通貨の覇権を、どう扱うかは、今日の課題である。

ドイツは、金融都市フランクフルトではなく、製造業メルセデスを選んだ。

これは、相対的な通貨安を、EU内の平均水準として、扱われる。先進国有利に働く、自由貿易や自由な労働市場の名のもと、帝国主義的な関係(安く雇う)が、どう扱われるかが、課題である。

ところがグローバルな労働市場による、人の移動は、今日的な問題をまねいてしまった。

ドイツは経済を取り、フランスは政治を取った。

英国は、金融国家として、どこまで変化しても、孤立主義を意識している。エリザベスは、もういない。

この点では、各国の思惑は、主要国だけをとっても、なかなか合意に達しない。拡大するEUにとって、ピケティの解決策として税の公平性は、遅々として進まないと思う。

チェス・ゲームの兵士(フ)の歩みのように。

それでも現状分析(過去)は、さすがである。世界史教科書としてとても良い。ピケティと読む世界史なり。

この点では、映画俳優として役者ピケティよりも、コミックでのピケティは、説得力あるようで媒体の違いを感じる。

そのようなスパイダーマンは、ジョーカーではあり得ず、真面目さもメリットであり個性だとは素朴に思うのです。


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