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さよなら、私の中の俺たち:「さよなら、俺たち」を読んで

「フェミニズム」「フェミニスト」という言葉ってどんなイメージ?


私がこれまで知っていたフェミニストは、みんな「女性」だった。

自分たち「女性」の権利のために声をあげている人たちという像。誤解を恐れずにいうなら私もそのうちの一人(「フェミニズム」「フェミニスト」という言葉の持つイメージについては、以前書いた記事『「フェミニスト」って、関わりたくないイメージ?』をぜひ )。

だけど、「さよなら、俺たち」という本で自身の過去を赤裸々に書いて、フェミニズムについて真正面から向き合っているのは、いわゆる「男性」である清田隆之さん。

清田さんは「桃山商事」という恋バナ収集ユニットの代表でこれまで1,200人以上の恋バナを収集してきたらしい。そしてそれを色々な場所で書かれたり話されたりしている。

この本では、そこで聞いた話やご自身の経験を踏まえて、今の世の中に存在している「男性性」や「男らしさ」について掘り下げている。

それらは時に誰かへの差別意識や押し付けとなって現れ、時には自分自身を縛って苦しめてしまうもの。

この本を読むことによって成され得るのは、 自分の中の「男性性」を見つめ直し、1. 他人を傷つけないために、2. 自分を苦しめてしまわないように、これまでの「男性性」を脱ぎ捨てることだと思う。以下は、特に2について書きたい。

私は、友達とのある会話をきっかけに男性が「男らしさ」に無意識のうちに縛られているのではないかと考え始めた。

というのは、大学生の時に男友達と話していて、私(女性)はなんの気なしに「結婚したい〜」とか言っていたのだけれど、その友達は「俺はまだ家族を養える自信がないから結婚したいとは思わない」と言っていた。

その時、彼の中には「男だから」という理由で「自分は家族を養う立場にある」という「当たり前」が当たり前に存在しているのだなと感じて、なんだか理不尽さを感じた。

よく「女性だからって家事をしなければいけないというのはおかしい」という。その通りだと思う。当事者間で合意が取れていればどのような形でもいいはず。

ただ、こういう女性に関する固定概念があるということは、裏を返せば男性に関しても「男性は外に出て働かなければいけない」という通念があるということ。

そういうものに縛られている男性は実はたくさんいるのではないか。

そして男性は「強くあり、弱音を吐かない」ことをよしとされているからこそ、女性よりも男性の自殺率の方が多いという現状さえも生んでしまうのではないか。

この本は、具体的なエピソードもまじえながら、世の中に存在する様々な「男らしさ」の固定観念やそれが成立してしまう社会に触れ、そこから脱するにはどうすればいいのかを考えるきっかけをくれる。

だからこそ、私はこの本を社会で「男性」のポジションにいる人にこそ読んで欲しいと思った。

本を読んでいく中で、自分を助けるためだけではなく他人を傷つけないために考え方の転換が必要だと感じさせられるところも多々ある、つまり、これまでの自分の言動や考え方を指摘され、見直しを求めらるような、気持ちよく読めない部分もあるかもしれない。

でも、それでも、全部読み終えたら、これまでの固定観念から少し放たれた気持ちになるのではないかなと思う。

自分の考え方をアップデートすることは時に痛みや恥ずかしさを伴う。けれどこの本は、著者がまずその痛みや恥ずかしさを感じながら本を書き、そしてそれを読者と共有してくれているからこそ、自分を振り返るための背中を押してもらいながら本を読み進めていけるような気持ちになる。

そして、社会で「女性」のポジションにいる人にもおすすめということも付け加えておきたい。「男性性」をもっているのは必ずしも「男性」だけではなく、「女性」のなかにも「男性はこうあるべき」「「男らしさ」とはこうだ」という固定観念はありうるわけで、この本は、それに気づくきっかけにもなるのではないかと思う。

宇垣美里さんの帯のコメントが印象的な、桃山商事の「どうして男(あいつら)は恋人より男友達(ホモソーシャル)を優先しがちなのか」もずっと気になっていながらまだ読めていないので、読むぞ〜。



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