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ストリートファイターK、伝統のタブーを破る

 香港で合気道を習っていた頃、合気道が日本の武道だから、という理由で、そこには色々な日本の伝統を重んじる風潮がありました。

合気道協会には自分達の道場がなく、体育館を借りて練習するのですがちゃんと武道用に畳みも常備されています。

畳を敷き終わると、まずは全員が、畳の下座に当たる場所に一列に正座で座ります。上座の真ん中には、日本の合気道の開祖「植芝盛平」の写真が額縁に入れられて置かれています。

そして、その日のコーチが、皆正座で一列になっているところに入ってきて、皆の列より数歩前で額縁に向き合って座ると、日本語で「礼!」と言い、全員で写真にお辞儀をします。

しん、と空気が張り詰める瞬間です。

そしてコーチがクルっと後ろ向き、私達と向かい合うと、今度は隊列の一番奥にいる副コーチ的な先輩が日本語で「礼!」と号令をかけ、コーチと生徒がお辞儀し合って、ウォーミングアップが始まります。

そうした日本の礼儀を日本語で継承してくれている事に彼らなりの敬意を感じます。

香港は椅子社会なので、何気に正座もできない人が多いのです。

技のデモを見ている間も、私たちは正座なので、数分間正座をしていなければいけません。50代、60代の人たちで足首が硬い人も、お尻を浮かせてほぼ膝立ちみたいになりながらも、正座をしている風で座っています。

ある日、練習後のご飯の時にストリートファイターKが、ふと思い出したように言いました。

「あ、そう言えば、あの正座、止めた方がいいんじゃないですか?香港て畳文化じゃないし、尊敬の気持ちは尊敬の気持ちとして、武道として技の練習するのはいいんすけど、待ってる間正座である必要とか、畳の上を膝で歩く練習とかは全く実用的じゃありませんよね。」と。

30年近くそれでやってきているコーチは固まっていましたが、Kは全く意に介さずに続けます。

「大体、運動して身体が温まっているさなかに、また次の技に入ると言っては正座してデモをじっとみていると、せっかく温まった身体がまた冷えてしまって運動効率も悪いっすよね?」

うわ・・それ言っちゃう?という微妙な空気と、よくぞ言ってくれた、マジそうだよな!的な歓迎の空気が、その場に漂いました。

その日はコーチがお茶を濁してそのまま曖昧に終わりましたが、別の練習で、畳の上を膝であるく膝行での鬼ごっこがありました。

こんなんで鬼ごっこさせるんですよ。

Kは新人ながら、スイスイとコーチ級の膝行をしながらクルクル回転したり軽々とやっています。鮮やかだな~と思ってみていました。

ここからはその日の練習後、Kが男子更衣室での話。

着替えていた時、メンバーが

「アレ?お前それ何つけてるの?」

とKに聞くと、Kがしれっと「え?バイク用の膝プロテクター」と答えます。

そう、Kの膝にはバイク用のカチカチのプロテクターが装着されていたのです。

確かにこれなら膝行も痛くはありません。

それを見た先輩やコーチたちが、
「イヤイヤイヤ、そんなモノを付けたら練習にならないから駄目だろ」と叱ったそうですが、Kは続けます。



筋肉は努力で鍛えることが出来ても、軟骨は鍛えようがありません軟骨はすり減る一方なんだから、しっかり守る手立てを取るべきじゃないすか?大体、畳環境のない香港で、この膝行を何としても身に着けるべき必要があるんすか?伝統は伝統として練習があっても構いませんが、俺は俺で自分の膝を守る手立ては取らしてもらいます。実用性のない事の練習の為に膝を壊したりしたら本末転倒だと思うんで。」

「!」「!」「!」「!」

その場にいた誰もが共感したのでしょう。

こうして、その日から女性陣の知らない間に、コーチも含めた男性陣が一斉に膝プロテクターを着用して練習するようになり、女性陣の知る頃には、デモの時の正座が辛い人たちは胡坐でも良い、という事になったのでした。

伝統を伝統として重んじる事はとても大事。

でも、例えば、昔は柔軟体操と称して、膝を持ってグルグル回す動作は膝本来に必要としない動きで、半月板や関節に無理な負担をかけるとやらなくなった、という事があるように、現代社会において、昔の常識は今の非常識になっている事もたくさんあるかもしれません。

また、外国に渡って、その土地の文化や環境にそぐわないものを知識として知るに留めて、実践練習から外すという柔軟性も大切な事だなと勉強になった出来事です。

それと声をあげる勇気が出せるかどうかは、きっとまた別物だとは思いますが。

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