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「正義の行方」:冤罪疑いがあるが、死刑執行された飯塚事件を巡るドキュメンタリー。事件以上に何か臭いものを感じる。。

<あらすじ>
1992年、福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された。DNA型鑑定などにより久間三千年が犯人とされ、2008年に死刑が執行された。しかし冤罪を訴える再審請求が提起され、飯塚事件の余波は今なお続いている。弁護士や警察官、新聞記者といった立場の異なる当事者たちが語る真実と正義を突き合わせ、事件の全体像を多面的に描き、この国の司法の姿を浮き彫りにする。

KINENOTEより

評価:★★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

今年(2024年)は袴田事件の再審無罪判決の確定が大きなニュースになっていますが、同時並行で1986年に起こった福井・女子中学生殺害事件の被告側の再審も認められるなど、過去の悲惨な事件の再審に絡む話題が多くなっている印象です。2024年は僕も人生で初の刑事事件の被害者になったこともあり、警察や検察が絡む事件の実体験を(したくなかったけど)したことで、事件というものの立証というのがとてつもなく難しいことを痛感しました。私たちの生活上でもそうですが(居酒屋やバーの価値ゼロな体験談は別にして笑)、第三者に全く知らないことや過去の状況を説明するのはすごく難しい。それを論理矛盾なく伝えられるのは相当なテクニックが必要ですし、ましてや被害者の論理、加害者の論理がそこに上塗りされると真実はどんどん闇の中になっていく。だからこそ必然的に冤罪がある程度の確率で起きてしまうということも仕方がないことなのかなと思えてきます。

本作は、そんな冤罪事件の疑いがかけられている「飯塚市小学生女子殺害事件」が取り上げられています。事件としては容疑者が事件から2年後に逮捕され、1990年代当時は最新だったDNA型鑑定によって事件の概要は早々に固まり、裁判で死刑判決が確定されています。ただ、早急に事件が解決したのは裏腹に、当時の証言を一つ一つ紐解いていくと、目撃証言だったり、容疑者を確定していくプロセスだったりが、あまりに警察寄りな意思が先に働いていていることが次々に浮き彫りにされてきます。様々な証拠・証言は出てくるものの、それは容疑者の犯行を確定されるものではなく、ドキュメンタリー上でも当時の警察側のかなり偏向的な意思が働いている(この証拠はこうだと言わざるを得ないでしょう、、的なもので、犯行実行有無を言わせるものにはなっていない)ことがよく分かります。これも僕も実体験したから分かるのですが、結局カメラ映像とか、実際の犯行現場を目撃するなど有無を言わせないくらいな証言がないと、いくら状況証拠を積み上げても、実際何が行われたのかは様々な人が推測することくらいしかどこまでいってもできないのです。そして、DNA型鑑定も不可思議なところが出てきたことで、ますます事件自体は混迷を深めていることになっています。

悲しいのは、本事件の死刑囚の刑がもう既に執行されてしまっていること(2008年)でしょう。一貫して最後まで無実を主張していた死刑囚の刑が執行されたことは、実際の事件関係者だけではなく、真実がどうあれ事件の全容が未だ不透明な中、社会として一人の命を抹殺したことは、国民全体の責任として負わなければいけないと思います。多分ですが、刑が執行されてしまっている以上、袴田事件とは違い、死刑囚家族や弁護士が今も行われている再審請求は通る可能性は低いでしょう。それと併せて、もし真犯人が別にいるのであれば、その人が今も社会に何事もなく生き続けていることは私たちにとって脅威が残っていることに他なりません。今後、同様に裁判上では解決してしまっている(とされる)事件と、どう向き合っていくかは法治社会に生きる国民全体の義務ではないかと思えてきます。

<鑑賞劇場>福井メトロ劇場にて


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