
「パリのちいさなオーケストラ」:アルジェリア系女性が指揮者を目指した実話を映画化。音楽学校の魅力と厳しさが詰まった良作!
<あらすじ>
アルジェリア系の少女ザイア(ウーヤラ・アマムラ)はパリ近郊の音楽院でヴィオラを学んでいたが、最終学年でパリ市内の名門音楽院に編入が認められ、指揮者を志すようになる。だが、世界中で女性指揮者はわずか6%という難関な上、クラスには指揮者を目指すエリートのランベールがいた。超高級楽器を持つ名家の生徒たちの間でアウェーのなか、ランベールの仲間たちから田舎者と野次られる。指揮の授業ではザイアが指揮台に立っても真面目に演奏してもらえず、練習にならない。しかし、特別授業に来た世界的指揮者セルジュ・チェリビダッケ(ニエル・アレストリュプ)に気に入られたザイアは、その指導を受けることになり、道がわずかにひらき始める。
評価:★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)
フランス、パリに住んでいたアルジェリア系の移民女性(映画は半自伝ともなっているので少女かもしれないですが)が、最難関とも言われるプロ指揮者を目指した実話をもとにした作品。実際に彼女はパリ音楽院を卒業し、名指揮者と言われるチェビリダッケの師事も受け(作品中もそのくだりが描かれている)、先日のパリオリンピックの閉会式では長いオリンピックの歴史の中で初の女性指揮者としてオーケストラを指揮したことでも知られています。調べてみると、彼女は僕と同い年で、指揮者としてのキャリアもまだこれからみたいなので、同じ同世代として、これからも頑張って欲しいなと思います。
誰しもがなりたいリーダー像として、どこぞやの記事でだいぶ前に読んだことがあるのですが、総理大臣とプロ野球の監督、そしてオーケストラの指揮者というのが上げられるのだとか。まぁ、確かに僕の小さい頃の一人ごっこ遊びとしては、この3つの職業というのは対象になっていたかなと思います(爆)。日本だったら(時間軸を無視すると)、総理大臣は一人しかなれないし、プロ野球もNPBに限れば12人しかなれないことを考えると、最もなりやすいのは指揮者じゃないでしょうか(笑)? 今はどうか分からないですが、小中学校の合唱や音楽の時間の指揮って、当番制で持ち回りでやっていませんでした? もともと音楽が疎い僕にとっては、そんな指揮者の持ち回りって、なんだかみんなの前にさらされるだけで嫌でしたが、高校から吹奏楽を初めて指揮者の重要性や役割の重さって、結構大きんだなと思わされます。傍目から見ると、オーケストラなり、楽団なりの前に出て、ただ音楽のテンポに合わせて適当に踊っていればいいだけに見えるし、それよりは実際に演奏しているプレーヤーのほうがソロにしろ、アンサンブルにしろ、いろいろ気を使っているんだから役割が重要そうなんですが、でも、吹奏楽を運よく何十年もやっていて分かるのは、一人で何もなく自分勝手に弾いたり吹いたりするよりも、ちゃんとテンポを生み出したり、音楽観を創造してくれたりする存在が外にいるのは(観衆を前に演奏するときに)かなり楽なことを痛感します。特に、一人ならまだしも、複数人で何もなく合わせるのはかなり大変。音程も、テンポも、各自勝手にやるのも迷惑だし、かといって自分がメンバー一人一人の音を聞きながら浮かないように合わせるのも大変。指揮者の仕事って、見た目以上に大変なのです。
あらすじにもありますが、この男女平等な世の中でもプロの女性指揮者は今でもかなり少ないです。僕も全然アマチュアな演奏経験の中で、様々な指揮者のもとで演奏してきましたが、割合で言うと8~9割はほぼ男性指揮者でした。男女の比較って、なんだかんだ難しい問題でここからは一般論として読んでもらいたい(汗)のですが、これも何となく理由が分かる気がしていて、女性指揮者は事細かに音を合わせたり、いろんなところに気を配れるのに対し、プレーヤーに自由度が少ない演奏になってしまうことが多かった気がするのです。むしろ男性指揮者は自分がやりたい演奏をつくるのに注力していて、その演奏が実現できれば、細かいところは気にしないダイナミックに音作りをする方の傾向が強い。「TAR」(2022年)でも女性指揮者の苦悩を描くドラマがありましたが、あれくらいヒステリックになられると、すごいプレイヤー側が委縮してしまうんですよね(汗汗)。男女の性差をド返しして、ザイアさんには頑張ってもらいたいし、本作は「のだめカンタービレ」(2009年)のような音楽学校の和気あいあいとしてコミュニティづくりが見れるのも面白さの1つになっていると思います。
<鑑賞劇場>アップリンク京都にて