見出し画像

「ミッシング」:子どもの失踪事件に見え隠れする人の善意。本当の優しさはもだえ苦しむ先にある。

<あらすじ>
とある街で幼女の失踪事件が起きる。あらゆる手を尽くしても見つからないまま、3カ月が過ぎる。母・沙織里(石原さとみ)は娘・美羽(有田麗未)の帰りを待ち続けていたが、少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦り、夫・豊(青木崇高)との温度差から夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田(中村倫也)だけが頼りだった。そんななか、娘の失踪時、沙織里が推しのアイドルのライブに行っていたことが知られ、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷を受けるようになる。世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けた沙織里は、次第に過剰な言動を繰り返し、心を失っていく。一方、局上層部の意向で、砂田は視聴率獲得のために、沙織里やその弟・圭吾(森優作)に対し、世間の関心を煽るような取材をするよう指示される。それでも沙織里は、娘に会いたいという一心で世の中にすがり続けるが……。

KINENOTEより

評価:★★★☆
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

日本の1年間の失踪数をご存じだろうか? 警察が発表している捜索願が出された件数は、夜逃げや逃走などの意図がある失踪件数も含むので、あくまで延べ人数に過ぎないが、約8万人ほどの数字でここ数年前後している。これは今僕が住む京都のとある地方都市とほぼ同じ人口。一地方都市と同じだけの人間が家族や友人、職場・学校などの関係場所から突然姿をくらましているだ。不思議なのは自殺件数がここ数年低下傾向で、2000年代は3万人だったのが、今は2万人台まで下がってきている(電車などの人身事故は体感増えているように思うのだが、、)。逆に、この失踪件数は近年増えているので、自殺しても独居や家族の見つからないケースが増えているのではないか、人口減社会なので絶対総数は年々数字上は減ってはいるものの、失踪者や自殺者の割合は減っていないのではないかと思います。

こうした失踪者のニュースというのは、あまり世間的には報道されない。もちろん、誘拐や自然災害に巻き込まれて連絡が突然取れなくなったという形のものはニュースには載るが、本作のような幼児から未成年、あとは高齢者などの失踪に関しては(もちろん成年された方の失踪も多いとは思うのだが)、数が多くて報道に載ってこないということもあるのでしょう。でも、XやInstagramなどのSNSのタイムラインに、家族を探していますとか、友人の行方を問うていたりする記事が時々流れたりするのを経験した方は少なくないと思います。だけど、そうしたSNSは拡散力は強い(特に人の不幸な記事は)のに対し、子どもや高齢者の失踪に関しては家族だったり、あるいは学校や福祉施設などの行政機関を叩く反応がすごく多かったりもします。そこはあくまでメディアの1つと思えればいいのですが、そうしたSNSの反応が実は自分の周りのリアルな人もそう思っているんじゃないかという思い込みが、(不幸であるのは失踪者の関係者であるのに)彼ら彼女らを逆に追い込んでしまうようなケースがあるのじゃないか。本作の沙織里の反応は映画作品で見ると過剰ではないかと思うまでも、実際自分が当事者となったときはそうした反応に振り回されるのではないかと思ってしまいます。

本作の監督・脚本は、「ヒメアノ~ル」(2016年)、「神は見返りを求める」(2022年)の吉田恵輔監督。この人は鬼才というか、狂ったような人を描く感覚というのがぶっ飛んでいる(誉めています笑)ので、本作のラストも狂気の世界に誘われるのではないかとハラハラしましたが、結構優しいラストに落ち着いて安心しました(そこへもっていくのは結構ジェットコースターですが)。でも、思うのは結局人の優しさというのが、怒り・悲しみ・痛みなどのど底辺を経験し、もがき苦しんだ人しか発揮することはできないなと思いました。それが序盤から寄り添っている記者・砂田の見せる優しさと、後半に同じく失踪事件を経験した母娘の違いに現れているのです。

<鑑賞劇場>TOHOシネマズくずはモールにて


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集