
「リッチランド」:原子力を受け入れることで発展してきた街の抱える悩み。原発反対はいうほど簡単ではない、、
<あらすじ>
平和で美しいアメリカの典型的な郊外の町、ワシントン州南部にあるリッチランド。ここは1942年からのマンハッタン計画における核燃料生産拠点で働く人々とその家族が生活するために作られた町。のどかに暮らす人々が応援する地元高校のフットボールチームのトレードマークは“キノコ雲”と“B29爆撃機”で、そのキノコ雲は町のいたるところで掲げられている。長崎に落とされた“ファットマン”のプルトニウムは核施設群ハンフォード・サイトで精製されたものだ。終戦後は冷戦時に数多く作られた核兵器の原料生産も担い、稼働終了した現在は国立歴史公園に指定され、アメリカの栄光の歴史を垣間見ようと多くの観光客が訪れている。「原爆は戦争の早期終結を促した」と誇りを口にする人々。一方で多くの人々を殺戮した“原爆”に関与したことに逡巡する者もいる。「川の魚は食べない」と語る者たちは、核廃棄物による放射能汚染への不安を今も抱えながら暮らしている。そんな様々な声が行き交うなか、被爆3世であるアーティスト・川野ゆきよがリッチランドを訪れ、町の人々との対話を試みる……。
評価:★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)
ちょうどこの感想文を着手しているときには、日本は国政選挙が行われている時期なので、よい素材だなと思ったのですが(笑)、本作は日本に投下された原子爆弾の製造のために必要なプルトニウムの精製などが行われ、冷戦下の最盛期には5つの生産炉が稼働していたというまさに原子力によって支えられた街リッチランドの栄枯盛衰が描かれます。今でも抑止のための核兵器の重要性というのは訴えられていますが、それでも冷戦下のような製造は行われなくなり、1970年代には全ての原子炉が停止。今は廃炉に向けた作業と、核汚染された地域での浄化作業及び歴史遺産としての国定公園化が進んでいます。それでも作品中にあるような原爆によって生まれた街という認識がアメリカ国内でも強く、今でも国内外から多くの観光客がその歴史遺産を観るために訪れる街となっているようです。
日本は核兵器の製造や保持は行っていないものの、日本国内で複数の原発があるように原子力発電にも頼っているのが実情です。僕も高専に在学していたときは電気工学科にいたので、そのとき発変電工学という授業の中で、原子力発電について学んだ記憶があります(内容は、、、という感じですが笑)。薄い記憶を思い起こすと、それこそ日本で原発施設が盛んに建設されたのは1960年代(法整備は1950年代後半から)からで茨城県東海村に建設・稼働開始した商業炉が最初で、福井県や福島県など日本各所で原子力施設が建設されるようになってきました。1970年代に入るとオイルショックがあり、資源を持たない日本にとって、核燃料製造サイクルという、使用済み核燃料を再生成することで無限にエネルギーを引き出すことができる仕組みは、未来のエネルギーとも称され、盛んに開発・研究が進んだ分野でもあります。しかし、当然のことながら他のエネルギーシステムと同様に、良い面もあれば悪い面もあるのも然りで、原発の場合は製造過程や発電、燃料再生成のどの過程においても生物にとって有害な放射能が出ることが周知のとおりであり、再生成不可になった核のゴミについては再処理工程で固め、地中の奥深くに置くことで、天然のウラン鉱石くらいの低い放射能レベルになるまで約10万年の年月がかかるということ。また、稼働していた核施設が設備老朽化などの理由で廃炉作業(ニュースでは福島原発のそればかり取り上げられますが)は、放射能除去の作業と並行で行われるので長い年月がかかり、平均で30~40年かかると言われています(日本で最初に稼働した1966年の東海村の原子炉も廃炉完了が2030年、地震で大きな被害を受けた福島第一原発は2051年予定だが作業がスムーズに言っていない現状)。
日本では2024年現在、稼働している原発は福井県以西のものが多く稼働率は約20%、そのうち発電需要に貢献しているのは約5%程度という状況です。もちろん東日本大震災以降、原子力に対する規制強化は一層高まり、再稼働できる原子炉も限られている状態。政府の新規原子炉計画もありますが、世間的なマイナスイメージも更にあるので、難しいのが現状でしょう。ただ、原子力発電については日本にもう建設されている以上、他の火力発電等と同じく、今後未来に向けてより安全に、よりクリーンにという研究は進めないといけないと同時に、何よりも今進んでいる廃炉計画の推進や稼働中の原発維持のためも技術者教育も進めていかないといけない(各大学の原子力系の学科は年々少なくなっている印象なのですが)と思っています。原発は核分裂という物理現象を利用する性質上、どうしても放射能処理はマストなので、その現象をどう抑え込んでいくのか、私たちの社会生活に害のないものにしていくのかの(社会システムとしての研究)検討も今後必要です。原発反対と一言でいうのは簡単ですが、もう数十機の原子炉とのお付き合いがある日本において、一言で別れられるものではないことは、政治家はよく分かって欲しいなと本作を観ていて思いました(映画の感想が全然ないですが、、笑)。
<鑑賞劇場>京都シネマにて