
「エイリアン:ロムルス」:エイリアン最新作は1作目の壮大オマージュ作。オリジナルとオマージュの違いに楽しさを感じるか否か。。
<あらすじ>
人生の行き場を失ったレイン(ケイリー・スピーニー)、アンディ(デヴィッド・ジョンソン)、タイラー(アーチー・ルノー)、ケイ(イザベラ・メルセード)ら6人の若者たちが、生きる希望を求めて宇宙ステーション“ロムルス”に足を踏み入れる。だがそこには、寄生した人間の胸を突き破り、異常な速さで進化する“エイリアン”が彼らを待っていた。その血液はすべての物質を溶かすほどの酸性のため、攻撃することもできない。若者たちは、宇宙最強の生命体から逃げ切れるのか?
評価:★★★☆
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)
1979年と僕が生まれた年にリドリー・スコット監督によって生み出された名作SFが「エイリアン」(1979年)。特に、1作目は劇場はもとい、テレビでも何回も放映されていて、「エイリアン4」(1997年)まで主人公リプリーを演じたシガニー・ウィーバーが若干小さい頃の母親に似ている(まぁ、1970~80年代のウーマンリブ世代の女性はアメリカも、日本もよく似ていましたが笑)こともあって、このシリーズはちょっと母親感もなぜか感じる(卵を体内に植えつけられるとか、女性器を想起させるようなエイリアンの造形も然り)怖いけど、不思議な作品というのが幼少期の印象でした。2000年代に入り、「エイリアンVSプレデター」(2004年)など、もはや物語ではなくてエイリアンというキャラクターでしか、このシリーズは作られないかと思いきや、「プロメテウス」(2012年)というエイリアンを全く想像させないSF作品でいきなりシリーズが、生みの親のリドリーの手によって復活。2017年の「エイリアン:コヴィナント」(2017年)を経て、本作が満を持しての公開となりました。
「プロメテウス」(2012年)が「エイリアン」(1979年)以前の誕生の物語を描き、「エイリアン:コヴィナント」(2017年)がその続編的な立ち位置なのに打って変わって、本作「エイリアン:ロムルス」(2024年)は「プロメテウス」にも、「エイリアン」にも属さない新たなシリーズ??なのかという微妙な位置づけの作品になっていると思います。それは「プロメテウス」シリーズがリドリー・スコット監督によって手がけられたのに対し、本作が「ドント・プリーズ」(2016年)のフェデ・アルバレス監督になっている(リドリーは製作として参加)ことからも分かります。ファンサイトを見ていると物語の時系列的には「エイリアン:コヴィナント」(2017年)の後、「エイリアン」(1979年)と同じくらいになっており、ファンにとっては「エイリアン」に登場していた、あのキャラが出てくることも熱いのですが、本作は全体的に「エイリアン」をすごくオマージュしている感が満載です。それはそれでずっとこのシリーズを観ていたファンにとっては、この場面はあそこによく似ているとか、あのキャラのこうした行動は結局誰かのあの行動を模倣しているよね、、とか楽しめるのは確かに面白いんですが、結局「エイリアン」を楽しめる枠は超えないのかなというのは若干物足りなさを感じるのも確か。オマージュはオリジナルは超えられないのかなというのを各所に感じることはできるのです。
とはいうものの、「エイリアン」(1979年)はそれこそ45年前(2024年時点)の映画。昨今はテレビを見なく、それこそ映画というものから縁遠くなっている現代若者にとっては、この作品を通じて、「エイリアン」という作品を知れるのかなとも思います。「エイリアン4」(1997年)までの作品で、ジェイムズ・キャメロン(「タイタニック」など)やデビット・フィンチャー(「ファイト・クラブ」など)など、その当時の時代を最先端を行く監督によって紡がれた、このシリーズがフェデ・アルバレスという新しい時代の監督にリドリー・スコットという偉大な監督の技が継承されていくと思うと、本作は内容以上に重要な位置づけの作品とも言えるかもしれません。リドリーには、まだそうした師匠ぶりをたくさんの作品で続けて欲しいなと思います。
<鑑賞劇場>TOHOシネマズモレラ岐阜にて