
「小早川家の秋」:京都の酒蔵を中心に繰り広げる家族の悲哀劇。人生は滔々過ぎていく心地よさ。
<あらすじ>
秋子(原節子)は小早川家の長男に嫁いだが、一人の男の子を残して夫に死なれてからは御堂筋の画廊に勤めている。代々、造り酒屋で手広い商売をしてきた小早川家も、万兵衛(中村鴈次郎)が六十五になり今は娘の文子(新珠三千代)のつれあい久夫(小林桂樹)に仕事が渡り、万兵衛は末娘の紀子(司葉子)と秋子をかたづけるのに頭をつかっていた。文子たち夫婦も、店の番頭信吉(山茶花究)、六太郎(藤木悠)も、この頃、万兵衛の妙に落着かない様子に不審を抱いていた。或る日、六太郎は掛取りを口実に万兵衛の後をつけた。万兵衛は、素人旅館「佐々木」に入っていった。。。
評価:★★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)
午前十時の映画祭より。
「東京物語」(1953年)など家族を中心とした作品で著名な小津安二郎監督の1961年の作品。小津は1963年に60歳という(今でいえば、まだまだ若い)年齢で亡くなっているので、彼のフィルモグラフィーでいえば晩年に当たる作品となりますが、初監督作の時代劇「懺悔の刃」(1923年)から遺作となる監督作「秋刀魚の味」(1963年)まで54本の映画を手掛けているとされているので、1年に約1.5~2本のペースで発表(実際は戦前に手掛けた作品数が多いのですが)されてたというので、彼の多才さとともに、特に戦前から戦後にかけて、テレビのない時代に映画というのは一大産業であったということが分かるかと思います。
とはいうのもの、僕は小津作品を「東京物語」(1953年)と「晩春」(1949年)くらいしか見たことがないですが、本作も含め、どの作品もよくしゃべる家族像というのが如実に出ています。それに(以前、どこかの感想文で書いたかもですが)いわゆる会話のシーンでも、会話をしている二人を横なり、斜めなりで捉えることは少なく、特に親密な会話についてはカメラ目線の対面で描かれることが多く、まさに自分自身が紀子であったり、万兵衛だったりの視線で語りかけられるような気持ちで作品と向かい合いながら鑑賞できることが多いです。あとは逆に大人数の群像劇っぽいところでは、寄らずに引きの映像で人の会話が繰り広げられる音声部分を聞きながら、実際の人の動きを俯瞰で眺めることで客観視できるような部分も組み合わせていたりする。特に、本作などは終盤の万兵衛があることで倒れるシーンなどは、あえて彼自身を見せずに、周りの混乱を引きで撮ることで、如何に彼が家族の軸として動いていたかを感じさせるなど、粋な演出も見れたりするのです。
あと、本作は京都の酒蔵を舞台にしている(明示的にはされていないけど、京都のお酒は伏見)ので、ちょうど僕が住んでいる近くが舞台になっていたります。御堂筋だったり、阪急だったり、京都競馬場だったり、ロケシーンは少ないものの、半世紀以上前の手作りな京都・関西の原風景を楽しめるのも良きところです。話は古風だし、大家族ものというのは今であれば遺跡級な感じかもしれないですが、仕事や好きな人のために家族から旅立って生きていくことを選択していく女性たちの姿を見ていると、1960年代の映画にして、今に通じる自由な生き方にも触れられているところが当時の小津作品としては先進的な目線で見れたりもします。昭和なスナックとか、旅立ちのコーラスとか、昔はそんな文化もあったんだという発見もできたりするのも面白かったりします。
<鑑賞劇場>TOHOシネマズくずはモールにて