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「ぼくが生きてる、ふたつの世界」:耳が聴こえない両親の下で育った青年の成長期。障碍者映画にしていないことが成功要因!

<あらすじ>
宮城県の小さな港町で、耳のきこえない両親の下で愛されて育った五十嵐大(吉沢亮)。幼い頃から母(忍足亜希子)の“通訳”をすることも“ふつう”の楽しい日常だった。だが次第に、周りから特別視されることに戸惑い、苛立つようになり、母の明るささえ疎ましくなる。心を持て余したまま20歳になった大は、逃げるように東京へ旅立つが……。

KINENOTEより

評価:★★★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

作家・エッセイストとして活躍している五十嵐大さんの同名自伝を、「そこにみて光り輝く」(2014年)、「きみはいい子」(2015年)とどこかヒリヒリする人間ドラマを作ることに定評がある、韓国籍を持つ映画監督・呉美保が映画化したヒューマンドラマ。今年(2024年)は超大作と呼ばれる作品に印象的なものがなく、「ブルーピリオド」(2024年)やアニメ映画ですが「きみの色」(2024年)のような、物語はもとい、映像に表現力を持った作品が僕の中では高評価をつけることが多かったのですが、本作もそんな印象の一つ。観たときはちょうど「ブルーピリオド」で感じたような映像センスの良さを感じたのですが、これも「そこのみて光り輝く」でも同じような光の監督とうまく捉えた呉監督の持ち味というか、強みがドラマに十二分に反映された作品になっていると思います。

耳が聴こえない両親の下、健常者(普通に耳が聴こえる)として生まれてきた主人公・大。赤ちゃんの時は泣き声が聞こえない中、ぶっ飛んでいる祖父母(ヤクザと宗教にハマっているってどうよ笑)や近所・親戚の協力もあって、苦心して育てられると同時に、大もコミュニケーションを取るために両親には手話や書き言葉で、祖父母をはじめ、それ以外の人たちには普通に会話でコミュニケーションを取るという、いわばバイリンガル(二つの世界)のような形で育ってきた。ただ、小さい頃は普通に捉えてきた、その二つの世界も、小学校に上がって友達が増えてきたり、中高で進路を考えるようになってくると、ただただ両親が重荷に感じるようになってくる。。ただ、本作は今まで同じような文脈に合ったコーダ(両親のために、周りをコミュニケーションを子どもが取るように介助していく)映画と違い(例えば、「エール」(2014年)とか、そのリメイクである「Coda コーダ あいのうた」(2022年)など)、耳が聴こえないということを障碍として扱っていないことでしょう。両親がそういう障碍を持っていようがいまいが、成長期を迎える10代の青少年にとって、両親が好きで、ずっと慕っていることなんて1割いるかどうかでしょう(笑)。そんな反発の中で、社会人になったり、結婚するようになることで改めて親の偉大さを感じる。祖父母の存在も含め、きっとどこにでもいるような普通の家族の物語になっているのが、すごく良いのです。

それに呉監督の一種独特な映像フィルターもよい演出になっています。すくすくと育っている子どもの頃はすごくリアルな映像で見せ、逆に社会人になったときに淡い色合いにして、今の親の姿と、昔の姿を上手く重なるようにして見せていく(実際に見えるわけではないのですが)。この歳になって、両親を見て思うのですが、すっかりおじいちゃん・おばあちゃんになった今の姿を観ていても、時々節々で昔の姿が一瞬オーバーラップしてくる瞬間があるんですよね。その時の感覚と、本作後半の映像感覚が実によく似ている。小さい頃はすごく大きな存在で超えられないと思っていたのが、実は気づかぬ間に、ずいぶん小さくなったなという背中を観て、あらためて親の苦労を感じてしまう。その感覚を映像を魅せる本作は、改めて今思い返しても凄い作品だったなと思います。

<鑑賞劇場>MOVIX京都にて


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