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「化け猫あんずちゃん」:化け猫が当たり前に存在している不思議空間。万能でない人間らしいあんずの振る舞いが癒し心をくすぐる。

<あらすじ>
雷の鳴る豪雨の中、寺の和尚さん(声・動き:鈴木慶一)は段ボールの中で鳴いている子猫をみつける。その子猫は“あんず”と名付けられ、大切に育てられた。ところがおかしなことに10年20年経っても、あんずは死ななかった。そして30年たった頃、どうした加減かいつしか人間の言葉を話し、人間のように暮らす“化け猫”になっていた……。現在37歳のあんず(声・動き:森山未來)の仕事は按摩のアルバイトで、移動手段は原付。ある日、親子ゲンカの末、長い間行方知れずだった和尚さんの息子・哲也(声・動き:青木崇高)が11歳の娘かりん(声・動き:五藤希愛)を連れて帰ってくる。だが、再び和尚さんとケンカをして、彼女を置いて去ってしまう。かりんは哲也が別れ際に言った「母さんの命日に戻ってくるから」という言葉を信じて待ち続けるも、一向に帰ってこない。母親の墓に手を合わせたいというささやかな望みさえ叶わないかりんは、あんずに「母さんに会わせて」と懇願。たった一つの願いから、地獄をも巻き込んだ土俵際の逃走劇が始まる……。

KINENOTEより

評価:★★★★
(五段階評価:★が星1つ、☆が星半分、★★★★★が最高、☆が最低)

いましろたかしによる同名漫画を、原作に「れいこいるか」のいまおかしんじが脚本を執筆、新進気鋭のクリエイター久野遥子と、「カラオケ行こ!」(2023年)の山下敦弘がW監督を務める異色アニメ。画風がすごく絵本っぽいんですが、話はなかなかしっかりしていて、生きることとは何ぞやということを強く考えさせられます。拾ってきた猫が化け猫になって自然にお寺に居ついてしまう、おまけにその存在に対し、寺の和尚をはじめ、周りの人々もそんなに不思議に思っていない。人と妖怪という世界が自然とクロスオーバーしつつ、違和感を感じさせないのは「犬夜叉」をはじめ、他のアニメ作品にも描かれることは多々ありますが、これがお盆を挟む時期ということに対して描かれるということが、すごく日本らしいなと思ったりしました。

話は変わりますが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という作品を皆さんはご存じでしょうか? この世で殺人や放火など様々な罪を犯して地獄に送られた主人公が、天空高くからその様子を見ていたお釈迦様が彼が生前、蜘蛛を助けたことを思い出し、蜘蛛の糸を地獄の主人公の傍に垂らし、運がよければ彼が救られる状況を提供する。その糸を見つけた主人公は血の池から糸を手繰り寄せ、何とか天空に向かってよじ登ることに成功するが、下を見ると、彼の行動をみた多くの地獄で苦しむ人々が我先にと、糸にしがみつき登ってくる。このままでは細い糸が切れてしまうと感じた主人公は必死に、登ってくる人を蹴落とそうとするが、そうこうしているうちに糸が彼の上で切れ、多くの人々とともに再び地獄に落ちていくのだった、、というお話で、もしかしたら国語の教科書とかで触れた世代の人も多いのかなと思います。僕は学校でもそうですが、もう今は亡くなった田舎のおばあちゃんの家の近くに、浄土宗のお寺があり、そこの子ども向けの漫画(?)か何かの中に、この「蜘蛛の糸」の話と同時に、地獄の様々なおどろおどろしい世界を描いたものがあり、それをちょうど里帰りのお盆の時期に読んで、強烈なトラウマ的なものを感じたのを今も覚えています。

それが本作とどう関係してくるかですが(笑)、ちょうど主人公のかりんが取り戻したいのも、亡くなった母親であり、何の因果か、彼女も地獄世界の中でパワハラ同然に働かされているという状況があり、それを化け猫・あんずとともに救い出そうとするのですが、その話の中でも、地獄の鬼であったり、翻って「蜘蛛の糸」で気まぐれに糸を垂らしたお釈迦様であったりというのは、西欧の絶対神と違い、神や仏さえ、化け猫や妖怪であっても万能ではなく、とても人間臭いということを感じました。だからこそ、神頼みという言葉はきっと真実ではなくて、神の奇跡と思える様々な事象でも、それに出会った人の努力なり、人間力みたいなものに結局要因はあるのではないかなと思ったりするのです。万能ではない仏に振り向いてもらえるためにも、如何に今世の世界で人としての正しさを貫かないといけない、、化け猫が人間臭く生きている本作のテーマも、そんなところにあるような気がします。

<鑑賞劇場>TOHOシネマズ二条にて


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