映画「ルックバック」と関の包丁職人の話
「ルックバック」、観ました? とてもいいですよ、おすすめです。全編泣けます。
歳を取ると涙腺がゆるくていかんですね……。単行本も買っちゃいました……。
それはさておき――、
最近、さる包丁職人さんのSNSを観ているんですが、職種はちがえどモノづくりに関わる人間としてはたいへん身につまされる話があり、唸らされたんである。その所感をば。
モノを作る人と売る人の話
岐阜県関市といえば刃物の名産地なのはみなさんご存じのとおり。世界的にみても良い刃物の大半はドイツのゾーリンゲンか日本の関かってなもんです。
関市はもともと日本刀の名匠を数多く輩出した町で、国際的にみても伝説的な一大ブランドなんである。世界最大の刃物・調理器具メーカーであるツヴィリング・ヘンケルスも、そうした高い技術を見込んで、関市に工場を持っている。国内刃物メーカー最大手の貝印も、自社製品のブランド名に関孫六なんてつけている。料理・包丁好きにとっては、聖地ともいえる町なのだ。
で、SNSで見かけた関の刃物職人さんの投稿のなかで「中抜き業者が高額なマージンをとってそのくせ安くで売ろうとするために、職人の労賃が非常に低廉になる」――という旨のものがあり、
あ~……(脱力)。
この世で最上級レベルの敬意を払うべき伝説級の関の刃物職人さんでさえ、いまの世の中にありがちな、モノを作る人/売る人の構図のなかに、取り込まれているんだなあ……、と思った次第なんである。
世界には2種類の人間しかいない
世界には、2種類の人間しかいない。それは、ゼロからなにかを作る人と、それを消費する人だ。これはなにも、包丁に限った話では、ないし、個人だけでなく事業体や職種についても同じことがいえる。
例えば、筆者の生業であるWebや紙媒体などの制作物・広告物にしても、多くの場合、クライアントとクリエイターが直取引をしているわけではない。間に広告代理店が入り、それに高額な手数料を乗っけつつ、クライアントに売っている。いわゆる「中抜きビジネス」である。※中抜きという言葉には、他の業者に丸投げして中間マージンを抜く意味と、中間業者を省く(本来の)意味の両方あるが、今回の意味は前者のほうね。
元請が下請に発注し、下請がさらに孫請に発注する重層的な下請構造は、付加価値のない無駄なマージンが累積するため、経済の生産性を下げる悪因のひとつとされている。が、これがゴキブリのごとく根絶されない。
そりゃ当然の話で、中間業者からすると自社で制作のノウハウや設備を整えるよりも、生産者を下請にして安く買い上げて売るほうが利益率が高いからである。というより、この場合、利益しかない。右から左にものを流すだけで、ノウハウも地道な修練も不要なんだから、当然、そういう目敏い中間業者は雨後のたけのこのようにうじゃうじゃ湧いてくるわけだ。
じゃあ中抜き業者になればいいじゃん
実際、広告にせよ刃物にせよ、自分で作るなど、効率的な話ではない。他人に作らせて安く買いたたいたほうが、設備投資や人材育成からも解放されて、ラクなことは請け合いなのだ。むしろ、自分で作る合理的なメリットはない。
それで「ルックバック」なんである。
劇中、漫画家である主人公ふたりのこんなやりとりがある――。
劇中、結末まで観ても、主人公たちのこの問いには、明確に言葉では答えられない。鑑賞者に委ねられて、終わるのだ。
その心憎い演出に、筆者は唸ったんである。
答えは尊厳……なのか?
中間業者のほうが、ラクなのだ。消費者のほうが、ラクなのだ。日々技術を磨くような努力って、ほんとうに非合理的で、ほんとうに無駄で、報われないのだ。他人が苦労して作った成果物にフリーライドできるなら、それに越したことはないだろう。
だのに、世の中にはなぜ、報われなくとも一所懸命じぶんの手で「作ろう」とする人がいるのだろう?
スマホを作った人。パソコンを作った人。自動車、飛行機を作った人。レコードプレーヤーを作った人。絵を描く、あるいは文章を書く人。
そこには、プリミティブな本能のようなものがあるに違いない。
生まれついた魚が泳ぐように、か? 鳥が飛ぶように、か?
いや、
もしかすると――、
……人間、だから……なのか? 尊厳……があるから、愛があるから作るのだろうか?
……、
尊厳とか愛、というと、あまりにも聞こえがよすぎるだろうか。
もしかしたら、心理学チックに、劣等感、と言い換えたほうがいいのかもしれない。あるいは神学的に、祈り、などという言葉になるかもしれない。
なんにせよ、そうしたなによりも人間らしい感情、
人間が人間であるためのなにか、
そういう衝動が人の技術を磨かせ、すべてのモノづくりの基盤になっているのではないか……?
いや、わかりませんよ、なぜ一部の人間だけが世界中の労苦を背負うかのように一心になにかを作ろうとするのか、なんて。キリスト、みたいじゃねえか。画家の伝記を読むたびに、ぼくはそう思うことがある。
ただ、たしかにいえることは、
そういう貴い感情だけが、貴い人たちだけが、
いまある世界を作り上げ、そして世界を少しでもよくしていく――ということだけ、なんである。
祈れ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?