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小説執筆の感情描写タブー3選

 私はいにしえの小説書きである。

 創作大賞のこともあってか、前回掲載した記事が意外にも好評のようなので、続いて小説の書き方を解説する(※なお、筆者は相変わらずnoteに小説は投稿していない。何様だと思うだろうが何様でもない)。

 今回、取り上げるのは、感情描写についてのタブーだ。

 数十年前に購入した、確か若桜木先生のこちらの本だったと思うが、

 もう本が手元にないので受けた印象しか覚えていないのだが、この優し気な表紙に反し、若桜木先生はメチャクチャ意識の高い小説家だった。

 いわく
 ・一度使った感情描写は同じ本の中では二度と使ってはならない
 ・紋切り型の感情描写ばかり多用するな


 というようなことを書いていた。

 小説家を目指すならば、喜怒哀楽それぞれについて、パッと10種類は上がるくらいじゃないとやっていけないというのだ。死ぬカス(※死ぬこと以外はかすり傷)と張るぐらい意識が高い。

 当然、それを読んだ、いたいけな少女の私は震えあがった。

 えっ、10種類もパッと浮かぶかなあ……
 紋切り型ってなあに?

 こんな感じである。でも安心して欲しい、数十年後にはどちらも理解している。

 それぞれ解説すると、

・一度使った感情描写は同じ本の中では二度と使ってはならない

 これについては、そのぐらい読者を飽きさせない感情描写が必要ということだ。例えば登場人物が不快感を覚えるたびに、毎回

 〇〇はイライラした。

 と書いていると、読者は飽きるし、小説家のくせに他に表現の仕方がないのかと呆れるしで本を閉じるだろう。なのでプロの小説家は多様な表現をいとも簡単に使いこなしている。

 私だったら、

・洋子はこめかみがピクリとひきるつのを感じた。
・洋子は目をすがめ、不快感を示した。
・洋子は顔には出さず、内心舌打ちする。
・洋子は苛立ちのあまり、頭を掻きむしった。
・洋子は奥歯をギリと噛みしめた。
・洋子は頭に血がのぼってくるのを感じた。
・洋子は拳を握りしめ、怒りを抑えた。
・洋子は相手を罵ろうとうごめく舌を軽く噛んだ。
・洋子は苛々と貧乏ゆすりする。
・洋子のみぞおちの辺りが熱くなった。

苛立ちの表現10種

 などと表現すると思う。

 こういう感情表現が上手に、いくつもできるようになるためには、日常生活において自分の感情が動いた時、文章化する練習をするのが大事だと思う。

 人の小説から、良い感じの描写をストックするやり方を試したこともあるが、他人の小説の表現をそのまま使っていると、誰かの皮膚を移植してきたみたいなちぐはぐさを感じる。

 他人の表現を借用するなら、実際にその感情を覚えた時、自分に当てはめて、違和感が無ければ、文中に使うぐらいが良いと思う。

 小説の表現はクオリアの表現でもあるので、あなた自身の反応を書く方が良い。それがあなた独自の表現になり、あなたの小説の価値になる。

 また、感情は頭だけで感じるものではない。大抵は身体にも表れる。なのであなたや周りの人が感情を表現した時、体にどんな変化が表れたかに注目すると良い。

・紋切り型の感情描写ばかり多用するな

 なお、これについて若桜木先生は、多用するな、ではなく二度と使うな、一生使うなと言っていたような気もする。

 個人的には、読み飛ばしてもいいような場面では、たまには使っていいんじゃないか? と思ったので「多用するな」にとどめた。

 紋切り型というのは決まりきった、ありふれた表現ということだ。
 何が紋切り型と言われると例示に困るのだが、例えば、

  ・涙がポタポタと落ちる。
  ・さーっと血の気が引いた。
  ・はちみつを煮詰めたような瞳

 こんな感じ? 分かりやすいが、読者は何も感じずこの描写を読み飛ばすだろう。

 小説は、重要な場面であればあるほど、実際、その場にいるように感じさせる文章を書く必要がある。
 だから、紋切型の表現を使用しそうになる時、実際自分がその場面にある時、本当にそう感じるか振り返ってみてほしい。涙がポタポタ落ちると感じるか? 涙が落ちるというのは、目が痛みを帯びるほど熱くなって、ぬるい液体が頬を這っていくような感覚ではないか? 血の気が引いた音は、あなたにとって、「さーっ」か? そもそもそんな音がするか?

 もし、「はちみつを煮詰めたような瞳」で見られたら、私は喜ぶ。チャンスだ。よくその目を観察し、描写するならどうするか想像する。私以外は目に入らないというような目で見られるのは、そうあることではない。私にとってそれは、目の奥にある得たいの知れない光が、私を捕えようとうごめいている、そんな感じ。その感覚を発展させて、文章に落とし込む。

 最後に私から付け加えると、感情描写として、「悲しそうな顔」とか「愛しそうな顔」とか直接書くのは、もう描写を放棄している。特殊な場面以外ではまず使用しない。

 描写の文章は、あなたの脳内に広がるイメージを読者に伝え、その脳内で色鮮やかに再生してもらうためにある。

 「悲しそうな顔」では固定化されたイメージしか伝わってこない。全く心が震えない。心が震えない文章では、伝えたいことが伝わらない

 だから小説家の芸というのは、できるだけ直接的な表現を用いずに、感情や雰囲気を読者に伝えるということだ、と言っても過言ではないと思う。例えば作家の凪良ゆうさんはそれがとても優れている。
 感情描写だけではなく、風景の描写も一段抜けていて、写真や絵よりも濃厚に、自分がその場に立っている感覚を起こさせる。それでいて、引っかかるような言葉を使わないので読みやすい。

 とにかく小説で行う感情描写というのは、話し言葉で使う描写とは一線を画すものだということを理解いただければと思う。

 この文章があなたの創作の助けになれば幸いである。
 なお、人物描写のコツについても書いてみたので、もし興味があればご覧いただけると嬉しい。


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