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なぜ、あなたが必要か。【自分には価値がないという感覚】

うつ症状がつらいとき、「私は誰の役にも立っていないんじゃないか?」「誰にも必要とされていないんじゃないか?」と本気で考えて絶望することがある。比較的能天気な私ですらそうなる。

うつ病の症状の一つとして、自己肯定感の低下があるけれど、それが行き過ぎるとこのように「私は必要とされていない」という自己無価値感に苦しむことになる。

うつ症状がひどい時は、社会参加にも影響が出ていたり、同居している家族にも支えられている場合が多いので、それを根拠にしてますます自己無価値観を深めてしまう。

もちろんあなたは必要な存在だ。無価値で無意味な存在なんかじゃない。
なぜそう言えるのか、と思うかもしれない。

では質問を返す。

私(YeKu)は必要な存在だと思うか?
私は世界にとって無価値で不必要で悪影響を与える存在か?

多分、あなたは「それは違う」と答えてくれるだろう。普段から私の記事を読んでくれている方なら、「だって、いつも楽しい記事を書いている」と言ってくれるかもしれない。

では、あなたはどんな相手に対してなら、「無価値で、不必要な存在」と評するだろう。

とんでもない罪を犯した極悪人ならいざ知らず、見知らぬ通りすがりの他人であっても、屋上の縁に立ち、「私は不必要な人間なんだ!」と叫んでいたら、「そんなことはない」と言いたくなるのではないか。相手のことを何一つ知らないとしても、必死に容姿や状況からヒントを探して説得しようとするのではないか。

それはあなたも同じことだ。

なぜ、自分のことだけを他の人と違うと考えるのか

あなたも他の人から見れば、「そんなことはない、必要だ」と言うに値する存在なのだ。あなたが何者で、これまで何をしてきたとしても、たくさんの人がそう言ってくれる。あなたは生きているだけで価値がある。

あなたは特別な存在ではない。ほかの人たちと同じく、価値があり、世界に対し独特な影響力を発する大切な存在だ。

そう分かっていても自己無価値感にとらわれてしまうのは、病気の一症状でしかない。あなたの不安には根拠がなく、正しくもない。

もし闘病中なら、医師に話して症状を和らげる薬を出してもらった方が良いだろう。

薬が効かなくて、それでもつらい症状があるなら、そうした考えが浮かんでもメタ認知で乗り越えることをお勧めする。

つまり、「今、自分がこのように考えるのはうつ症状の一環であって、例えばおなかが空いたとか、眠いとかいった勝手に起きる身体症状と同じことだ」という風に考えてやり過ごす。

うつ病の時に生じる悲観的な考えは正常な判断力を伴った考えではない。「はいはい」と流すようなもので、取るに値しない。そう分かっているだけで、だいぶ違うはずだ。

一方、こうしたうつ病の症状とは別に、常に自己無価値感に苦しむ人たちもいるようだ。

自己評価を他人からの承認に依存しているために、他人の機嫌や評価によって容易く精神の均衡を崩してしまう人たちだ。

幼少期、親から「ありのままの自分」を受け入れられなかった場合にそのような精神状況となる(場合がある)らしい。

自分の機嫌よりも親の機嫌を取らなければならなかったり、子供らしく全肯定されて甘やかされなかった人たち。

私自身、昔は誰かに愛されたかったし、愛されるなら相手は誰でもいいという心境だったことがあるが、ありがたいことに今は満足している。家族には縁が薄いが、友人や恋人には恵まれた。うつで休職し悶々としていた時に、「一緒に暮らそう」と言ってくれた優しい人のことは忘れない。

しかし本来、こうした幼少期に由来する根深い苦しみを癒すには、自分自身でゆっくりとケアを行っていく必要があるものだろう。

うつに由来しようとしまいと、自分が無価値であり誰にも必要とされないという感覚ほどつらいものはない。これを読んでくださった方が、自分自身を優しくいたわりながら、人生を送れるよう願っている。


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YeKu@エッセイとか書いてる
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