デジタルの海で泳ぐ新人メダカと老いたサクラダイ
かつて学校のベンチを温めることも億劫だった私が、今やデジタルの海を泳ぐ一匹のサクラダイとなり、初々しいメダカたちを眺める日々。
彼らの存在は春風のように心を潤すが、同時に、その未熟さから業務の流れに小石を投じることも。少子化の波が押し寄せる現代社会で、ミクロな視点からは彼らの減少がある種の安堵をもたらすのもまた事実。
新人たちの初々しさは、まるで書店に並ぶ新刊の文庫本のよう。ページを開くたび新たな発見があり、思いもよらないような視点の発言や発見から、その純粋さに心が洗われる。
彼らは、長年コードと向き合う目に優しいフォント(源ノ角ゴシックとか?)のように、日々の疲れを癒やしてくれる……ような気もする。
しかし、この新たな章には、読み進めがたい複雑なプロットが途中に待ち構えている。新人の育成は時にゲームの長いローディング時間のように、忍耐を要する作業だ。彼らの未熟さは、あたかもコードのバグのごとく、業務を停滞させる原因となり得る。
暇な時ならいい。難易度の割に納期が長い平和なプロジェクトとか、ほとんどパソコンの前でふんぞり返ってるだけの保守運用業務とか。
しかし相次ぐ仕様変更なんかで大炎上中、顧客は怒髪天を衝き、無能なプロジェクトマネージャーが唐変木な指示を繰り返し、開発チームは寝る暇も考える暇もなく壊れたロボットのように無感情でコードを書き続け、無限に続く工程表を必死に見まいとする。
こんな状況では新人メダカにものを教える暇もなければ、作業を任せることもできない。バグを挿入されたら二度手間だからだ。ならレビューしたらどうだと思うかもしれないが、当然のお約束や前提知識のないメダカちゃんが書いたプログラムはバグだけではなく、考慮漏れや見当違いが多数含まれる。もうそうなると、一字一句確認して直させるより、自分で書いた方が三万倍は早いのである。
少子高齢化は社会にとって悪影響である一方で、新人の減少は、まるでデータベースの使用容量が減るかのようなある種の解放感を与える。新人が減れば減るほど、新たな育成の負担やバグも減少し、老練なプログラマーの時間はより創造的な作業に費やされるかもしれない。
それによって炎上も回避できようと言うものだ。
話は少し変わるが、私は炎上が嫌いである。
プロジェクトが炎上に至る原因は色々とあるが、より小規模なプロジェクトではメンバー一人ひとりの実力が占める割合は大きい。私自身の作業進捗が良くても、他のメンバーがふるわなければ尻ぬぐいをするハメになる。
そういう時、上司やPMは「同じチームなんだから持ちつ持たれつ」だとか「仕事があるのはありがたいことでしょ」などと嘯き私をイラつかせる。
だって、助けた相手との実力差が圧倒的である場合、「持たれる」機会が訪れることはないのだ。だからチームメンバーが実力不足の場合、永遠に私だけが損をし続けるのである。
もちろん人を助けるのは美徳だから助けられるならどんどん助けるべきという考えもあるだろう。でもこの場合私に「助けない」という選択肢はないのである。強制された見返りのない人助けはただの強制労働に他ならない。
私が仕事に望むことはただ一つ。ただただ早く自分にまかせられた仕事を終えて、あたたかいベッドで安らかに一日を終えたい。ほかのメンバーの仕事が終わらず徹夜しているとしても、自業自得なんだから知ったことじゃない。でも現実にはそういう場合、手が空いているから(空いてるんじゃねーよ頑張って空けてるんだよ)と私にまわってくるのだ。
もちろん自分にも新人時代はあったわけで、今ほど仕事ができたわけではないが、それでもプログラマとしてはほぼ即戦力だった。たいして人に尻ぬぐいをさせてきた過去はないと思う。
だからプロジェクトでは、こう言ってはなんだが「同僚はいなくていいから私が5人いればいいのに」と思いながら仕事している。独りよがりな感想に思えるだろうが、実際複数のお客さんに「YeKuさんってなんで一人しかいないんですか?」と冗談交じりに言われる。それなのに、大してお給料は高くない。ああ、なんて不平等な世界なんだ!
その上、以前とある同期が断ってるのにしつこくボーナスの額を聞いてきて、断っても断っても諦めないので仕方なく大体の額を伝えたら、YeKuの方が多いのはけしからんと社長に抗議しに行った。
私の口がすごく軽いみたいな印象になってすごく損したし、そもそも全然仕事が出来なくて私に教わってばかりいるくせに、一体なんだって同じボーナスだと思ったのか厚顔無恥さに呆れるばかりだ。
にも関わらず、無神経な愛嬌と顔だけ(に私には見える)でお客さんに気に入られていたのもとっても気に食わない。
ただの愚痴になってしまった。
とにかく、社会全体としては新人を減らすことは避けるべき流れだが、個人的なレベルでは、その必要性に疑問を投げかけることもある。私たちは、短期的な楽を求めるか、それとも長期的な社会の発展を見据えるべきかというジレンマと戦わざるを得ない。
結局のところ、新人メダカの存在は、プログラミングの世界における必要不可欠なリフレッシュであり、同時にチャレンジでもある。このデジタルの海で彼らと共に泳ぎ続けることは受け入れざるを得ない試練なのだ。
そして、少子高齢化の波が押し寄せる中では、この海をどのように泳ぎ切るかという、一つの試練を投げかけているのだろう。
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