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20241009_ 噛みあわない会話と、ある過去について


・またすごい本を読んでしまった。「噛みあわない会話と、ある過去について」辻村深月

・あちら側とこちら側の話だ。

・主人公は「こちら側」だ。この本を通して、というだけではなく、もちろん文字通りでもなく、世間一般的に。そんななかで、「あちら側」にも人生がある、「あちら側」も主人公である、という話だってよくあるけど、それも「こちら側」が主人公であることを一度前提にしたうえでの見せ方だ。

・この話たちは「こちら側」視点で話は進むのに、主人公は「あちら側」に見える。「あちら側」が浮き出てくる。「こちら側」は悲劇のヒロインにもさせてもらえない。させてもらえない、なんでこんな表現か、自分がいつでもそうなり得ると思うからだ。

・させてもらえない、読書という立場でも思う。彼女らは傲慢だ、まだ気付いていない、私はまだ自覚がある、まだ自覚があるの時点で傲慢じゃないか、、

・美穂も早穂もきっと日常を取り戻す。しかも別に反省しているところもない。彼女らが改心してしまったらそれは「あちら側」の負けなのだ。徹底的に勝ちに来ている。今日気分が悪くなっただけだと思うか?関わらなければいいと思うか?お前はずっとそんなお前のままだと無自覚に生きていけという呪いだ。

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・単純に自分の感情を整理したいだけの話。

・エッセイ的なものを書いている方がいる。

・名前はちらほら見たことがあって、たまたま作品を読んだらとても心地よく感じて何冊かまとめて購入した。

・その人は文章がすごい!とかではないんだけど、そんなに大きく変化のない日常の記録のようなものが絶妙で、ドラマチックではないがつまらなくはない、みたいなバランス感と、単純にその人自身の価値観を好ましく思っていた。

・少し経ってからご本人の顔を見てちょっと驚いた。イメージと違ったから。顔の造形ではなく、ファッション的な部分が全然思っていたのと違った。別にそれ自体に問題はなく、ただ私はその人の文章よりもその人自身を好きだったんだなあと気付かされた事件(?)ではあった。

・また日数を経て、同じような作品を作っている方との対談を読む機会があった。そこでその人は「自分はこういうの(日常的なエッセイのようなもの)を書くのが得意」というようなことを言っていてまたびっくりした。

・厳密には、得意であることやそれを自認していることに驚いたわけではなく、それを言うということに、またイメージと違う、、となってしまった。正直言うとショックを受けてちょっと醒めたみたいな感情が正しい。

・あんまり自分でもわかっていないが、たぶんこれは作品の形式のせいだと思っていて、作者の人となりを自動的に読み取っていたんだと思う。つまりエッセイだったから作者のイメージが勝手にできていた。

・これはもうそういうものだろとも思うし、もちろん発信している時点で100%真実とは思わないまでも、等身大なのではと考えていた。これが間違いなんだろうか。最初からフィクションと思っていたらよかったなと思った。

・もしかして無意識に、自分の読解力のなさに失望したのかな。ほかの読者のなかには、思ってた通りの人だ〜と感じたひともまあいるんだろうし。

・エッセイとか、あとラジオとか、ほかの類似メディアとは距離感が違うものってある。ある、だけだ。

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