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20240110_晴天

・吉田篤弘さんの「なにごともなく、晴天。」を読んだ。著者と晴天と表紙のケーキに惹かれて先日買ったもの。ケーキかわいいね。実際食べようと思ったらショートケーキより目がいくケーキはたくさんあるけど、でもこのいちごと生クリームは別格であるとも思う。

・つむじ風食堂の夜を読んだときも思ったけど、食べものの匂いや感触がすごくリアル。そこだけ緻密に書かれているようには見えないし、臨場感ともちょっとちがう、新技術です、みたいな感じでダイレクトに伝わってくる。

・私が脳内で思い浮かべるためにちょうどよい文章なのかもしれない。AIへの指示を書くのがうまいひと、のように、私に思い浮かべさせる文章がうまい方なのではと思っている。そして穏やかで日常的な作品なのに、(新技術やAIを思い起こさせるような)機械みたいに無駄なく真っ直ぐに文章を届けてきて、勝手に私の脳を起動させる。プログラムぽい。

・穏やかで日常的と書いた、その通りなんだけど、探偵も高架下も、まだ美味しさがわかっていないコーヒーも全然行かない銭湯も、私の日常ではない。要素としてありふれているものなのはわかるが、全く身近ではない。

・吉田篤弘さんのお話は大抵そうで、だからわりと普通な人の普通な日々が描かれているにも関わらず、私にとってはものすごく物語を感じてしまう。突飛なことが起こっている方が、そんなこともあるのかもねと思ってしまうくらい。こんな日常、当たり前のように書いてるけど、私の当たり前にはない、という感じ。

・自分は人生に物語を求めているというか、人生や生活が物語になってほしい、してほしい、したいみたいな気持ちがあることに気付いた。誰の人生だって物語だというのはわかるけど。

・たぶん、だから小さなことを拾いたいと思ってしまう。駅で前を歩いていた人のアウターの背中にポケットがついていた、飾りなのかな、カイロ入れるのかな、とかそういうことを考えて、言葉にしたくなってしまう。ポケットって入れるときと出すとき、どちらがより大事かなとか思う。

・身の回りのものだって、誰かとの関係だって、全部物語がほしい。これはみんなそうなんだろうか。物語があるかないか、でもその判断は結局表現するのが難しい。非日常とかドラマチックとかは全然違う。日常の物語。ここに書くようなことをたくさん求めている、という感じかもしれない。物語というか、まあ自分にとっての特別な理由というか、ひっかかり。文脈か?

・私はそういう意味で自分を物語派(仮)と思っているが、恋人の彼は私からするとかなり対極で、いわば事実派だ。たぶん物語なんて不要、というかそんなこと考えていなくて、スマート。そこがすごく好きとか嫌いとかは全然ない。

・ただたまにその差を感じたときに、事実派の彼に選ばれることって物語的だよなとちょっと勝利を感じてしまう。彼への勝利ではない。世界の物語派の勝利。

・明日はテレワークなのでお弁当はなし。残業を頑張った彼にハンバーグを作った。ハンバーグは食べるときより作るときが楽しいかも。

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