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こっちはなんとかやってるよ


今日は父方の祖父の命日。僕が3,4歳の時に亡くなったので、祖父の記憶はあまりない。

父とは似ておらず寡黙で、なのにすき焼きの時は男の仕事だと張り切って、母にまずお肉を取り分けて、よく泣く僕と違い、静かでよく寝る妹といつも添い寝をしてたと聞いた。

当時はスマホもないしそこまで写真も撮ってなくて、僕の手元にある祖父との写真は2人で撮ったプリクラが1枚。今みたいに全体がシールになってて切って貼るやつじゃなくて、角が丸くて端っこだと顔半分が切れちゃうようなめくって貼るやつ。なぜか背景はサファリパーク。


祖父の最期は病室で、大勢に囲まれて亡くなった。癌だったそうだ。

命日になり祖父との思い出話が上がると誰かが必ず、僕がすごい勢いで泣いていたと言う。

どれくらい悲しかったかどうかなんて覚えてないけど、子供がここは泣くところなんて意識していたはずもないから、とても悲しかったんだと思う。


僕は祖父にとって初の内孫だった。僕が生まれて性別を聞いた時に祖父はショックで寝込んだらしい。(安心してください。これに関して僕は差別されたという意識はなく、可愛いエピソードと思っています)

それに加えて僕はとても神経質で、母親以外の腕の中ではあまり眠らなかったらしい。祖父はなかなか落ち着いて抱っこもできなかっただろう。

3年後に生まれた妹は、僕とは正反対でそのへんに転がしておいても勝手に眠ってしまうような子だった。(いい意味で)

だから祖父は妹をとっても可愛がっていた、と聞いた。


もし今も祖父が生きていたらと考えることがよくある。

中学生。
第一志望の高校に落ちた帰り道にもし祖父が立ってくれていたらどんな顔をしてくれただろうか。

高校生。
部活を辞めようか悩んでいたあの時に祖父に相談したらどんな答えが返ってきただろうか。

大学生。
上京した僕が休みに田舎に帰ると無愛想な祖父は照れながら笑ってくれただろうか。

社会人。
僕の仕事は難しくて理解できないと少し怒りながら、でも嬉しそうに周りの友達に自慢してくれるだろうか。

これから結婚する相手も、いつか生まれてれてくるであろう子供にも会ってほしかった。

子供の性別を聞いてショックで寝込んだ、と今度は僕が直接聞いて笑いたかった。


僕は祖父との思い出があまりない。でも、両親から聞く祖父は僕に沢山の愛を与えてくれた。あの日病室で泣いた僕は、その愛を感じていたから泣いたんだと思う。

僕の頭は覚えていないけれど、僕の心がその愛を覚えているから、勝負の前に必ず心の中で呟く言葉がある。

おじいちゃん、力を貸してください。

そして勝負が終わった時、それが失敗しても成功しても心の中で僕は伝える。

おじいちゃん、ありがとう。


祖父とのプリクラ1枚。その中の祖父は優しく微笑んでいる。

無口で無愛想で不器用な祖父のその顔を見ると、薄い記憶が鮮やかになって蘇ってくる気がする。

いつか天国で祖父に再会した時、胸を張って僕の人生を話せるように生きたい。

毎年この日は、いつもそんな事を考える。


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nobody
僕が何者になるか、あなたに見届けてほしいです。

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