コミュ障相棒の生き方
これのついでに、先々月の電気代も払ってなかったです。
6月って大阪にほとんどいた時の話じゃないですか。それでも電気代こんなに払うんかい!世界中のハムスターを集めて回し車で走らせて発電させろ!!
どこにも請求書が見つからないので東電に電話かけなきゃ駄目じゃん…。ワイ氏、めっちゃマイナスになってる東電株主なんですけど。そのマイナス分でまかなってもらって良いっすか。
そんなことはどうでもいい。
最近、噂の劇物ロラゼパムの量が1日2個ないし1個に収まりつつあります。最悪4個ぐらい飲んでたあの日が懐かしい思い出。
仕事は相変わらずのヤバさでサービス残業も何時間やってる始末ではありますが、それでも体感でヤバさが確かに減った。嗚咽とかしなくなったし、吐き気もあるっちゃーあるけど、前に比べたら全然。
何度かnoteにも書いている通り、やっぱりコミュ障との直接的なやり取りがなくなったのが一番デカいと思います。
あとは派遣連中が僕の仕事に誰もタッチしない(故に相談できない辛さもまたあるが)ので、勝手に僕がお客さんと話をはじめて、ようやく全体が見えてきたところに安心感が出てきたのかもねえ。
それでも、この場所での仕事は長くはないんだが。
やっぱ一日ずっと無言のまま過ごすのはつらいよ…。信頼できる人と建設的な話をしたい。コミュニケーションは取りたいです。1人で全部回すのはつらすぎる。派遣の派遣の派遣が、いまや名ばかり監督やっとんやぞ。
それに、こんなとこにずっといたら絶対いつかコミュ障と一緒に仕事することになる。そしたらまた元に戻るのは確実です。
コミュ障が僕に対して「あなたはいつも何を考えているのかわからない」と放った言葉、絶対忘れねえからな。
隣通しに座ってるってのに見知らぬどおしの相手として扱ってる僕とコミュ障相棒。
僕だけメール外してきたり会議を呼ばなかったり日常茶飯事ですが、僕も「呼ばれてないから出てないだけ」と知らんふりすることで心に収まりをつけるようにしました。(心情的に)ここまで割り切るには時間がかかった。
他人という視点からみると、意外にコミュ障はポンコツなところも多くて、例えば日報とか出すってルールを何週間も忘れてて、何故か上司から僕に「コミュ障はどうして日報を出さないのか」と言われる始末。
あ、僕、知ってましたよ。コイツが日報だしてねーの。他にも色々忘れてる件のも全部知ってる。でも言わない。言う義理もない。
やり忘れたり、(故意じゃないにせよ)ルールを破ってしまってお客さんから指摘をくらうこともちょいちょいあって、「あーこんな抜けたヤツやったんだ」と第三者視点で感じることがまずまずあります。
それでもコイツは評価されている。技術者として優秀だから。
見た?あの自分で作った設計書を説明する時の笑顔を。いつも無表情で何考えてんのか全然わかんねえ奴がさ、テレビ会議の先のお客さんに披露してるとき、笑ってんだよ。
こっわ(ぇ
こういう仕事が好きなんだろうし、そこだけに自分の人生をぶち込んだ結果、認められたコミュ障なりの生き方なんだろうなって思うようになってきました。
人間性とか比較はできない要素は語りだしてもあんまり意味がないと思うんだけど、まあコイツは人間的にはヤバいやつには違いないです。修羅場をくぐり抜けてきた、と彼は豪語した。もしかするとその修羅場は自分で作り出したの間違いかもしれない。さあて、真実はどこにあるのやら。
それでも彼は生き生き仕事してるんだから、幸せなんだろうなぁ。それでいて認められてるんだから、WIN/WINで動いてる世界があるもんだねって思う。人間性なんて大した話じゃないんだ、多分ここでは。
だったら僕がその世界に付き合い続ける義理立てはなくて、僕と社会がWIN/WINになる場所に行きたいと思うのはふつうのコトじゃないかなーって思うわけです。
今日お客さんと話をして「ありがとうございます」て言われて、あー久々に感謝されたわと思いました。別にこの仕事が楽しいとも思わんし、ツライとこも多いし、正直めっちゃつまんないけど、こういう感謝されてると、自分が人間であることを思い出したっていうかなんていうか。
感謝して、感謝をかえされて。それが人と人を繋ぐ最初のステップじゃないの。そういう生き方のほうがいいと僕は思ってます。
コミュ障はそうじゃない。そういう生き方じゃない。僕の生き方と違うんでしょう。しょうがないじゃん、人がいるだけ生き方も違うんだ。
ありがとうございます。今日は定時帰りなのに自社仕事を家でやらされてめっちゃ鬱です。ロラゼパム、やっぱりもう一錠行っときますわ…