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【分布意味論時代の歩き方7パス目】蘇ったフェルゼン伯爵「首が飛んでも、動いてみせるわ!!」

最近重めの投稿が重なってるので気分転換がてら。パリ五輪開会式で話題になったメタルバンドGojiraですが…

パフォーマンス内容はともかく、まず「環境保護活動に熱心なので選ばれた」雰囲気がアリアリだったのが気になりました。

  • なお私は個人的には環境アプローチ曲の最高傑作はSting「we work the black seam'(1985年)」だと思ってます。原子力技術の問題点を、あえて「石炭の時代、産業革命の時代に戻ろう」と主張する炭鉱夫に告発させる事で「進むも退くもままならない人類のジレンマ」を浮かび上がらせる辺りがまさに天才的…

  • あとギエドレ「百獣の王(GiedRé - LES ROIS DES ANIMAUX,2016年)」。これ実はフランスのフィガロ誌執筆陣を筆頭にフランス有識者層がこぞって「レッドタートル ある島の物語(英題The Red Turtle、仏題La Tortue rouge)」に「人間が真の意味で人間性を回復するには原子力発電や火力発電や水力発電ばかりか火すら捨てねばならない」なるメッセージを勝手に読み取って絶賛した事にフランス若者層が反発し「ならば火すら捨てて森に帰れ、聖なる野蛮人ども!!」などと罵倒しながらヘビロテしていた曲。この作品の主題もまた「進むも退くもままならなず途方に暮れるしかない人類のジレンマ」でした。思わぬとばっちりを食らったオランダ人のマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督、本当に可哀想…

ここで思い出したのが国際的にヒットした日本のTVアニメ「ぼっちざろっく」に登場するサイケデリックバンドSick Hackのボーカル兼ベーシストの廣井きくり先輩。

これを契機にそのモデルたるマーガレット廣井が同じくボーカル兼ベーシストをつとめるポストプログレバンド八十八ケ所巡礼の名前が海外にまで伝わった訳ですが…

マーガレット廣井のブログまで覗いた海外の好き者が放ったのがこの一言。「何て健全なバンドなんだ。酒しか飲まず、酒の話しかしない。ドラッグばっかりやってて、世界平和とか黒人解放とか環境保全の話ばっかりしてるこっちのバンドとは訳が違うぞ」。そういえばコロナ禍真っ只中の2020年中頃TikTokで爆発的に流行したラブソングRicky Montgomery「Mr Loverman(2020年)」の背景にもBLM運動のポスターが貼られてましたね。

  • 日本のアニメ漫画Game展開は本物なので、こんな展開も。

2020年にバズった曲の1つ。なんとYouTubeで1億1000万回以上再生!
漫画が原作のアニメ「Banana Fish」の内容と、歌詞が痛いほどリンクしているということでネットで話題になり、Ricky自身ものそれをを知った後、アニメでBanana Fishを全話見ていました。笑

上掲「アメリカの若手シンガーソングライターRicky Montgomery (リッキー・モンゴメリー)を紹介したい」

大体、今時プログレだのメタルだのサイケだのに没入する様なリスナーは、私も含めそれを熾烈かつ切実に自分自身と結びつけたがっているのであって、そこに混ぜられた政治的メッセージを「ノイズ」と感じる意見が出てくるのは致し方ないといえましょう。

それはそれとして、問題は別のところにあります。そう「フランスにおいては、迂闊にマリー・アントワネット王妃に言及が及ぶと自明の場合の分布意味論的共起反応としてヤツが復活を遂げてしまう」のです。それでは、ここでいうヤツとは誰か?

  • 革命後のフランスにおいて事あるごとに悪役とされてきた「外国人王妃」マリー・アントワネット王妃。同じオーストリア人としてこの状況を帰るべく「評伝界の巨匠」シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig, 1881年~1942年)が「評伝ジョゼフ・フーシェ(Joseph Fouché,1929年)」の続編的位置付けとして放ったのが「評伝マリー・アントワネット(Marie Antoinette,1932年)」。

  • そしてまさにかかるシュテファン・ツヴァイク流、すなわちオーストリア的=フランス革命史観に反発する王党派的史観を下敷きとして成立したのが池田理代子「ベルサイユのばら(1972年~1973年)」であり、その歴史観はさらに「イタリアのメディア王」ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi,1936年~2023年)の「日本アニメのフランス輸出戦略(1970年代~1990年代)」を契機としてフランス人少女達の心をもしっかり掌握。

上掲「フランス人の私が日本のアニメで育ったらこうなった」
上掲「フランス人の私が日本のアニメで育ったらこうなった」

最近「ベルサイユのばら」再アニメ化が発表されました(劇場版。2025年公開予定)。そこでも真っ先に主役格として名前が挙げられた一人が「マリー・アントワネット王妃の秘密の愛人」フェルゼン伯爵(Hans Axel von Fersen, 1755年~1810年)だったのです。

「ベルサイユのばら」1巻第一話。主人公のオスカルやマリー・アントワネット王妃を差し置いて真っ先に紹介される。

この展開には「フェルセン伯爵といえば、民衆が起こした暴動で殺された暴君」なる歴史観を継承するスウェーデン人も吃驚。ただこのギャップについては「ベルサイユのばら」にもフォローがあって「民衆にマリー・アントワネット王妃を殺されたフェルゼン伯爵は、以降心を閉ざし祖国では冷酷な暴君として記憶される事になった」とされています。それ今となってはかえって問題をややこしくする考え方なのでは?

実在の人物である「ハンス・アクセル・フォン・フェル『セ』ン」がモデルで、マリー・アントワネットと愛人関係にあったことも事実で、架空の人物であるオスカルとの関わりを除けば、ヴァレンヌ事件などベルばらで描かれた話はほぼ史実を元にした逸話である。

フランス革命で、自身が唯一、心から愛したアントワネットを喪った失意の中、故郷であるスウェーデンに帰国したが、その失意は民衆に対する深い憎悪へと変わり、民衆を憎む冷たい権力者に変貌し、国民を弾圧するようになり、やがて憎悪を募らせた民衆に撲殺されるという、自業自得ながら哀れで無残な最期を遂げた。これは史実通りの最期だが、彼の本心は親友のオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェや愛人マリー・アントワネットと冥界で再会するためという厭世的な思考にあり、オスカルやアントワネットが亡くなった日に死にたいが故に、わざと冷血漢を演じていたと日誌に書き残しており、革命を逃れ、自分を頼ってきたロザリーとその息子には、若き日からの知己の関係だったからか、本心の一端を吐露していた。さらには革命の混乱の際に死ねなかったことを人生最大の痛恨と考えていたようで、齢を重ね、醜く老いさらばえた姿で、往時の姿のままであろう親友や愛人に再会することを今際の際に嫌悪した。つまりは老いた自分の醜態を親友や愛人に晒すことを激しく恐れながら、惨たらしく死んでいったのである。つまり、強い愛が彼を結果的に冷血漢に変え、独裁的な権力者に変えてしまったという点で、自業自得とはいえ、皮肉な出来事であった。

なお、容貌は本編の時間軸では容姿端麗の美男子であったのだが、革命後は精神的ショック+加齢による老け込みがよほど激しかったのか、革命から歳月を経た後の晩年期の姿は知性的な美男子であった青年時代の面影のほとんど残っていない気難しい老人のそれでしかなかった。美男子であった往時からの激しい老け込みようは、往時の姿を知るロザリーが言葉を失うほどであった。

なお、史実では死後に彼の高官・貴族としての名誉は回復され、高官としての葬儀を許されたとの事。(もっとも、これは彼を見殺しにした軍部の責任逃れに近いが……)

上掲Pixiv百科事典「フェルゼン」

国王との対立により、グスタフ4世が廃位された1809年クーデターでは中立の立場をとった。そのため、革命後は地位を保ち、大将に昇進したが、保守派としてグスタフ4世の息子で王太子だったグスタフを擁立しようとした。国王に即位したカール13世は王太子にアウグステンブルク家のクリスチャン・アウグストを指名したが、クリスチャン・アウグストは1810年5月にスコーネで急死した。

クリスチャン・アウグストの死後、フェルセンとその妹ソフィー・ピーペルがクリスチャン・アウグストを毒殺したという噂が流れた。『ブリタニカ百科事典第11版』はこの噂を誹謗であるとし、その出所も不明としたが、反グスタフ派はこの噂を利用した。

1810年6月20日にクリスチャン・アウグストの遺体がストックホルムに運ばれると、フェルセンは宮内相としてそれを迎えた。やがて群衆が暴動を起こし、「殺人者」と叫びながら投石しはじめた。士官2人がフェルセンを国会議事堂に護送し、そこに軟禁する形で群衆の怒りを鎮めようとしたが、フェルセンは議事堂前の階段でリンチされて死亡した。暴動は1時間以上続いたが、現場にいた近衛連隊は暴動を制止しなかったという。

グスタフ派に属するグスタフ・マウリッツ・アルムフェルトは暴動の責を群衆に帰すべきではなく、「こんな事件が正規軍のいる場で白昼堂々と起こった」と疑問を呈し、『ブリタニカ百科事典第11版』はカール13世政権がグスタフ派の勢力を弱体化させようとして、アルムフェルトが逃げたためフェルセンが被害を受けたと評している。

1810年12月、裁判所がカール・アウグストは病死であるとの判断を下し、フェルセンは汚名をそそがれ、高官としての葬儀を許された。

上掲Wikipedia「ハンス・アクセル・フォン・フェルセン」

スウェーデンの場合、現王室の初代が「ナポレオン・ボナパルト配下の叩き上げ将軍」ジャン=バティスト・ベルナドット(スウェーデン語名ベナドット)なので、どうしても旧王家側は悪者にされがちという事情も。

それはそれとしてフェルゼン伯爵、暴動終了後にその遺体が全裸で溝の中から発見されており、やはり敗死後全裸に剥かれた遺体が戦場で発見されたブルゴーニュ公国のシャルル突進公(Charles de Valois-Bourgogne,在位1467年~1477年)同様国際的に歴女から性的消費されがちな立場にあったりして。

ブルゴーニュ戦争で敗死し、やはりその遺体が戦場で全裸に剥かれた状態で発見されたシャルル突進公

なお題名のフェルゼンのセリフ「首が飛んでも、動いてみせるわ!!」は歌舞伎「東海道四谷怪談」における「色悪」民谷伊右衛門の有名な決め台詞。豊田四郎監督版(1965年)においてはラストシーン、雪の降りしきる庭を血まみれで這いずる瀕死の伊右衛門(演仲代達也)にこの台詞を再び呟かせていますが、山田風太郎「忍法帖」シリーズ(1958年~1974年)や南條範夫原作映画「武士道残酷物語(1963年)」同様、高度成長期独特の苛烈な闘争心同士の衝突が背景にあってこそ成立した日本映画史に残る奇跡的名場面の一つ…

『四谷怪談』ストーリーを知らない人でも、これだけは誰だって知っているのが、「お岩さんの祟り」でしょう。では何故、お岩さんが幽霊になって祟るようになったのかというと、毒薬を飲まされて顔が醜く崩れてしまい、そのまま死んでしまったから。その毒薬はどこからやってきたのかというと、大金もちの武家・伊藤家から届けられた。じゃあ何故、伊藤家はお岩に毒薬を飲ませたのかというと、伊藤家の一人娘・お梅が、お岩の夫・伊右衛門に一目惚れしてしまい、「自分の夫は伊右衛門じゃなきゃヤダヤダヤダヤダ!」と言い出したから。なのでした。

そんな深窓の令嬢に一目惚れされてしまうのですから、伊右衛門は相当、イイ男のはず。あ、ここで注意しておきたいのは、男にとってのイイ男ではなく、女にとってのイイ男、ってことで。それはつまり、美形のヤサ男、ってことです。特に、武士の家の令嬢なんて世間知らずもいいとこで、役者錦絵(江戸のブロマイド)とか草双紙(江戸の雑誌)なんかを見てぽわわ~んと恋に恋してるに決まってるわけですから、松田優作的イイ男の魅力なんて理解できるはずもなく、完全にキャナメ(=要潤)的イイ男の魅力にコロッとやられちゃうはずなんですよね。って、キャナメじゃなくてもいいんですけど……(単に私の好みってだけ笑)。まぁ、木村拓哉とか藤木直人とか、そういうちょっと綺麗め系統の。

そう考えると、仲代達矢。ちょっと骨太な気もしますがそれは目をつぶるとして、綺麗め系統のイイ男。女好きするはずです。

だけど。この綺麗め系統のイイ男を、徹頭徹尾、冷酷で残酷で人間としての情愛に欠けた「人でなし」に設定した。ここが『四谷怪談』の作者・四世鶴屋南北のスゴイところなんですけど。

綺麗め系統のイイ男が、冷酷な人でなしだったとしたら? 自動的に、女が不幸になる。ええ、展開は決まっています(笑)。その逆を考えるともっとわかりやすくて、たとえば、ブ男が、冷酷な人でなしだったとしたら? 自動的に、男(っていうか本人)が不幸になる。それだけです。女は、ブ男で冷酷な人でなし、なんていう男とは特に関わろうとしませんから、ドラマが生まれるはずもない。

そんなわけで、「綺麗め系統のイイ男+冷酷な人でなし、という設定でいこう!」と決まった瞬間、「女が不幸になる」という展開も自動的に決まる。そして、普段は無意識下に追いやっているけれど心のどこかに潜んでいるはずの女の自虐的心理やら破滅願望やらを刺激することになり、妙な熱狂が渦巻くであろうことは、必至。

だいたい、『四谷怪談』以前までは、こういう綺麗め系統のイイ男は、いい人、やさしい人、と決まっていたんです。正確に言えば、頼りないというか、優柔不断というか、主体性がないというか、そういう意味での、やさしい人、ですけどね(笑)。いや、でも、今だってそういうタイプの二枚目がもてはやされている気もしますが。

でも、そういうのって、ちょっとばかりつまんないんですよね。刺激がない。面白くない。心が揺さぶられない。唯一面白いとしたら、そういうぼんやりさんの心をこっちが揺さぶること、ですか(笑)? でもそれもやがて飽きるでしょう。何ていうか、「え、そういうのもアリ?!」「あぁ、もう理解不能!!」というような興奮や驚きを、他人の上に見出したいんですよね。ましてやそれを、イイ男の上に見出せたとしたら。たぶん、これ以上ないくらいの快楽なんじゃないか。そう思うのです。

実は、そんな驚きを、今回この『四谷怪談』の仲代達矢の上に見出すことができました……! 映画前半の仲代達矢は、普通の悪人・伊右衛門だったんです。まるで眠狂四郎のように虚無的なニヒルな表情で人を殺して、「うーん、天知茂バージョンとあまり変わらないかなー」なんて思ってました。

ところが、ラストに近づくにつれ、仲代達矢、バリバリと狂い出すんです! 目をむき、叫び、転げまわり。以前自分に向かって「お前、女に惚れたことねぇのか?」と言った直助(中村勘三郎)の幻覚に向かって、「女に惚れたことのない悪党ほど始末におえないものはねぇだとー?!」と食ってかかり斬りまくり、充血した目をギラつかせ。お岩の亡霊から身を守るための結界も斬り捨て、女も斬り捨て、転げ出るように戸を開けると、サーッと眼前に吹き上げる木枯らしに、舞う粉雪。恐る恐る、ゆっくりと正面を見据えるまでの、自分が何をしているのかもう分からなくなっていることへの恐怖と憤怒と冷酷のまじった、その凄い表情といったら。

ここで私、初めて仲代達矢にセクシーなものを感じてしまいました。何故なら、このときの彼の顔に、何かよくわからない、自分の理解を超えた、謎のような未知のような怖いような底なしのようなものを見たから。このときの仲代達矢には、決して、「実は心の奥底ではお岩を愛していたのだ」とか「何がどうあっても立身出世したかったのだ」とか、そういう「なるほどねー」と腑に落とすことができるようなものは何もなかったと思う。そこには、「意味」なんて何もなくて。それこそ、結局すべてを失くしてすべてがはぎとられた後に残ったのは、真ん中が空洞のダンボール芯だけ、というような。でもそのダンボール芯が異様に頑丈でつぶそうとしてもなかなかつぶれないどころか、なんだか異様な存在感を発している、というような。

そんな空洞と無意味をあらわにしたまま、異様な存在感だけを発して、ただただ目をむいて虚空を睨んでいる。そんなものを目の前にしたら、もうどうしていいのかわかりません、私だったら。まぁ、それがトイレットペーパーの芯だったら「このダンボール芯、なんか不気味だから捨てちゃお」で済みますけど、それがイイ男だったとしたら。もう金縛りにあったように固まりますね。間違いなく。

つまり、セクシーとは、そういうものなのでしょう。きっと。それは、自分の理解を超えたものに対してはそうした反応をするしかない、そうした反応によって未知のものを乗り越えようとするしかない、人間の切ない本能なのかもしれません。だから、外見的に好みだとかスペック的に好みだとか、そういうこととセクシーはあまり関係がないのかもです、実際は。たぶん。もちろん、イイ男であるに越したことはないでしょうけれど、ね。

上掲「仲代達矢版『四谷怪談』~私は男性の何にセクシーを感じるのか?という問題について」

どうやらこの世には、この様に非道の限りを尽くした挙句の果てに自業自得で悲壮な最後を遂げる優男からしか摂取出来ない色気がある様であるらしく、この仲代達矢版伊右衛門にも岡本喜八版「大菩薩峠(1966年)」における机龍之介(演仲代達也)同様、相応の女性ファンがついてる模様。

  • なお、その筋の方々の間には「三船敏郎が尻である様に、仲代達矢は眼」なる定言がある模様。そういえば上掲の豊田四郎監督版四谷怪談のラストシーンも突然上からの俯瞰外面が切り替わり、血の跡を残しながら虫の様に這いずる伊右衛門がフレームアウトして終わるのですが、それはそれで結構「尻オリエンテッド耽美な映像」だったといえなくもなく…

最初に衝撃を受けたのはその色気。男の色気とはいうけれど、ここまでフェロモンだだ漏れの男って見たことない(笑)。

とにかく『羅生門』を初めて見たときは芸術性なんかそっちのけであの筋肉に目が釘付けだった(笑)。黒澤と違ってチビ(174cm)なのに。わざとらしい作った筋肉じゃないのがいいね。当時の私はべつに筋肉フェチでもなく、どっちかというと筋肉は嫌いだったのだが、有無を言わせぬオスのフェロモンがあるよね。

『七人の侍』はその三船の尻がたっぷり鑑賞できるというすぐれものなのだが、尻丸出しで泥に突っ伏して死んでてもあれだけかっこいいって、これはもうハリウッドアクターには逆立ちしても真似できまい。

上掲「★【映画評】『七人の侍』と黒澤明と三船敏郎の話」
黒澤明監督映画「酔いどれ天使(1948年)」
黒澤明監督映画「7人の侍(1954年)」
黒澤明監督映画「天国と地獄(1063年)」

一方「仲代達矢の目」

黒澤明監督映画「用心棒(1961年)」
岡本喜八監督映画「大菩薩峠(1966年)」
勅使河原宏監督映画「他人の顔(1966年)」
  • そういえば「シェイプ・オブ・ウォーター(The Shape of Water, 2017年)のギレルモ・デル・トロ監督も奥さんと娘さんから「イケメンは眼と尻」なるアドバイスを受け、半魚人の造形でそこだけはこだわり抜いたとか。

割とこうした造形文化の大源流には「(高身長の背中から続く、小さく引き締まった)ウルトラマンの尻の耽美性」が幻視される事もあるという…そもそもアレ裸なの?着衣なの?

こうした形における「女性側からの男性の貪欲な性的消費」において日本は先進国の部類。そういえばこんな作品も…

  • 前近代までの戦場においては、貴人が乱戦の最中に敗死して行方不明になると、大抵鎧は愚か下着まで剥ぎ取られた全裸遺体が後から見つかる(あるいはもう他の死体と区別出来なくなって発見されない)展開を迎えるので、これが国際的に歴女達の密かなる妄想の源となってきた。

1474年、ヴラド3世は12年間におよぶ幽閉から釈放された。この間、カトリック教国からの支援を得ようとして正教会からカトリックに改宗し、マーチャーシュ王の妹と結婚したが、この改宗によって正教徒中心であったワラキアの民衆の人心を失った。

1476年、ヴラド3世はトランシルヴァニア軍を率いてワラキアに進軍し、ダネシュティ家のバサラブ3世ライオタを追放して三たび公位に返り咲く。遅れてシュテファン3世のモルダヴィア軍も到着したが、まもなく連合軍の大半は自国の事情によって帰還してしまい、手元にはシュテファン3世が残したモルダヴィア兵200人を有するのみとなった。

同年(1477年説もある)、現在のブカレスト近郊でオスマン帝国と戦って戦死する。ヴラドの死には不明なところが多く、一説には、ヴラドに敵対するワラキア貴族による暗殺ともいわれる。オスマン帝国軍は、ヴラドの首を塩漬けにしてコンスタンティノープルに持ち帰り晒したという。ヴラドの遺体はスナゴヴの修道院に葬られたとされる。

上掲Wikipedia「ヴラド・ツェペシュ」

1506年10月、チェーザレは収監されていたモタ城を脱出して、スペイン軍の追っ手を避けながら2か月の逃避行の末に、12月3日に義兄フアン3世の統治するナバーラ王国へと逃れることに成功した。

1507年3月、ナバーラ王国とスペインとの戦闘でナバーラ軍の一部隊を率いてチェーザレは参戦したものの、この戦いで戦死した。チェーザレの遺体はビアナにあるサンタ・マリア教会に埋葬された。

上掲Wikipedia「チェザーレ・ボルジア」

なおシュテファン・ツヴァイクはナチスのユダヤ人迫害を逃れ、南米滞在中にリオのカーニバルの熱狂を経験し、シンガポール陥落の報に接っして「私の知っていた欧州中心の古き良き世界はもう戻ってこない」と絶望して夫婦心中を遂げています。そこまで視野を広げると「欧州中心主義vs脱欧州中心主義」なる思わぬ大規模なイデオロギー闘争が全体像として浮かび上がってきて「脱欧州中心主義の急先鋒としての日本文化」なる考え方に直面せざるを得なくなるという…

1933年ヒトラーのドイツ帝国首相就任の前後からオーストリアでも反ユダヤ主義的雰囲気が強まり、1934年に武器所有の疑いでザルツブルクの自宅が捜索を受けたことを機に、ユダヤ人で平和主義者だったツヴァイクはイギリスへ亡命する。

その後英国(バースとロンドン)に滞在し、1940年に米国へ移った。1941年にはブラジルへ移住。1942年2月22日、ヨーロッパとその文化の未来に絶望して、ブラジルのペトロポリスで、1939年に再婚した2番目の妻であるロッテ(Charlotte Altmann)とともに、バルビツール製剤の過量摂取によって自殺した。死の1週間前には、旧日本軍によるシンガポール陥落の報に接し(シンガポールの戦い)、同時期にリオデジャネイロのカーニバルを見ており、自分達のいる所とヨーロッパとアジアで行なわれている現実のギャップに耐え切れず、ますます悲観したようである。

遺著となった『昨日の世界』は、自身の回想録で、著者が失われたものと考えたヨーロッパ文明への賛歌でもあり、今日でも20世紀の証言としても読まれている。

上掲Wikipedia「シュテファン・ツヴァイク」
  • なおシュテファン・ツヴァイクが英国滞在中に住んだコッツウォルズはさらに「ジェーン・オースティンが面した地」「ハリーポッター撮影地」「きんいろモザイク聖地」といった多様な顔を備え(今日では分布意味論上の共起連想網の一種と目される様になった)パサージュ論の格好の教材に。
    ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論」

情報意味論的共起性(semantic co-occurrence)とベンヤミンのパサージュ論(Passagen-Werk, Arcades Project)は、一見すると異なる領域に属する概念ですが、深く掘り下げるといくつかの共通点や関連性が見えてきます。

情報意味論的共起性

情報意味論的共起性とは、特定の単語やフレーズが文脈内でどの程度一緒に出現するかを分析する手法です。この分析は、テキストの意味的な関係性を理解するために使用され、自然言語処理(NLP)や情報検索などで広く利用されます。共起性の高い単語同士は、意味的に関連が深いと考えられます。

ベンヤミンのパサージュ論

ヴァルター・ベンヤミンのパサージュ論は、19世紀パリのアーケード(パサージュ)を題材に、都市の空間と資本主義社会の変遷を批評的に考察した作品です。ベンヤミンは、歴史、文化、哲学、文学などの様々な断片を組み合わせることで、複雑な都市の様相や社会の変化を浮かび上がらせました。

両者の関係性

1. テキストの断片と意味の連関:
ベンヤミンのパサージュ論は、多くの断片的なテキストや引用を繋ぎ合わせることで構成されています。この手法は、意味的な共起性を持つテキストを選び出し、それらの関係性を探るという点で、情報意味論的共起性の概念と類似しています。

2. 文脈と意味の生成:
情報意味論的共起性は、特定の文脈での単語の出現頻度に基づいて意味を生成します。ベンヤミンも、パサージュという特定の都市空間や歴史的文脈を通じて意味を生成しています。どちらも、文脈が意味を形成する重要な要素であることを示しています。

3. 複雑な関係性の可視化:
情報意味論的共起性は、テキスト内の単語やフレーズの関係性を可視化し、理解しやすくします。ベンヤミンのパサージュ論も、都市の空間と社会の関係性を可視化し、理解を深める試みです。両者とも、複雑な関係性を探求するという共通の目的を持っています。

4. 分析と批評の手法:
情報意味論的共起性は、テキスト分析の手法として科学的なアプローチを取りますが、ベンヤミンのパサージュ論は批評的、哲学的アプローチを取ります。しかし、両者ともにテキストを通じて世界を理解しようとする試みであり、分析手法の多様性を示しています。

これらの視点から、情報意味論的共起性とベンヤミンのパサージュ論は、異なる領域に属しながらも、テキストや意味の関係性を探求するという点で共通の関心を持っていると言えます。

ChatGPTに質問「情報意味論的共起性とベンヤミンのパサージュ論の関係について教えてください」

そんな感じで以下続報…

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