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「考える機械の登場」がもたらすのは「人類の知性の敗北」ではなく「人機一体時代の到来」という話。
1996年から1997年にかけて人間のチェス名人と互角の勝負を繰り広げられたチェス専用スーパーコンピューターDeep Blue。どうやらこれを開発したIBMは、その勝因を「1秒間に2億通りの手を評価し平均13手先読みする」第二世代人工知能ブームまでの成果の集大成と分析している様です。
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現代ではこの程度のCPUパワーならそこら辺のスマフォでも備える様になり、かかるインフレ展開が将来も続きます。そんな時代にあってIBMの伝統的強みは(ハードウェアやLinuxや人工知能技術を統合する)コア技術の継承にあり続けてきたというのです。
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ヒッピー世代が「(宗教右派の支配地域を全米の隅々まで行き渡らせた)TV伝教」と同じくらい「権力支配の道具」として憎悪した「IBMのメインフレーム」の世界。しかしながら如何なる新興精鋭集団も成熟期に入れば何らかの「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)」を掲げざるを得なくなるものなのです。
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それはそれとして確かにコア技術の継承自体は重要。第二次人工知能ブームの最中だった1980年代に私が触った論理プログラミング言語Prologには、ルール駆動エキスパートシステムに分布意味論的多様性への対応能力を持たせるべく「大前提を一個ずつ入れ替えて全体を再計算する」バックトラック機構が搭載されてました。CPUパワー不足を補う為の苦肉の策でしたが、2010年代に決定木アルゴリズムを躍進させたランダムフォレスト技法は「同様の推論を並列して進め、全体像を俯瞰した上で結論に至る」という意味合いである種の発展系。そしてさらに深層学習アルゴリズム側の反撃となったTransformer技術に至っては、処理測度重視で再帰もバックトラックも畳み込みも捨てる一方、自己注意機構を導入してウィントゲンシュタインの言語ゲーム的要素まで取り入れるに至ったのです。
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この間人間側は一方的敗北を喫してきた訳でもありません。後にDeep Blueの勝利はむしろ人間側の「情報理論的計算ミス」の産物に過ぎなかった事が明らかとなり、チェスだけでなく将棋や囲碁でも「機械の人間への勝利」自体は達成されたもののそれは「人間だけでなく機械も一緒に考えたほうが世界観が広がる」人機一体時代の始まりとなりました。これは十分明るい未来なのでは?
ここまででとりあえず1000字弱。プロダクション・ノート的解説は以下。
そんな感じで以下続報…