【本文無料】Sustainability拾遺集(03)「「ナチスは「良いこと」もしたのか?」は「良いこと」もしたのか?」という話。
「集計範囲を拡大する方向のベイズ更新」すなわち過去投稿への追補。シリーズ中でコンサルタントとしてのピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909年~2005年)について触れ、彼のマネージメント術に「ナチズムからの国家防衛」なる側面があった事から、最近話題の小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?(2021年)」にまで手を出してしまいました、以下はその感想文の様なもの…
本文(4360文字)
最近何かと話題の小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?(2021年)」が気になったので、手に取って読んでみました。まず最初に気付いたのが、対立仮説を立ててそれを棄却する科学論文の様な組み立てで展開するという事。そもそも題名となっている「ナチスは「良いこと」もしたのか?」がその対立仮説で、様々なエビデンスを並べて丁寧に「そうとはいえない」と証明していくスタイルなのですね。もちろん方法論自体に是非はありません。しかしこの本は明らかに最近また勢いをぶり返している「ナチズムの絶対悪視や悪魔視なんて思考硬直の産物に過ぎない」なる相対論の沈静化を狙った内容なのに、この方法論を採用したばっかりにむしろ火に油を注いだ様な逆効果を起こし、彼らを活気づかせてしまったのは正直いただけないと思いました。ではどうすれば良かったのか? きちんと「どういうロジックでナチスは絶対悪視されるに至った」から入るべきだったのです。
水平次元の視座:「唯一の中心の座を狙い合う諸勢力が構成するある種の極座標系」としての当時の世界情勢。
戦前日本における最大級のマルクス主義理論家であった戸坂潤(1900年~1945年)は、世界恐慌(1929年)が日本、ドイツ、イタリアなどの枢軸国と、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連などの連合国の対立を経て第二次世界大戦(1939年~1945年)が勃発した時代について「まず自由主義が死に、ファシズムと共産主義の最終決戦が始まる」と予測しました。また満州事変(1931年)を起こした首謀者の一人石原莞爾(1889年~1949年)は「最終戦争論(1940年)」において「現在進行中の世界大戦は、東洋と西洋の最終決戦となる」と予測を立てています。
「戦前欧州最大の知性」と賛されたシュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig,1881年~1942年)が自殺したのも「私が知っている古き良き欧州はもう戻ってこない」と確信したからでした。何しろドイツでは1932年の国会選挙でNSDAPが国会の第一党となり、1933年にヒトラーが首相に任命される以前の大統領内閣(Präsidialkabinette,1930年~1933年)時点で既に議院内閣制は崩壊しており、そのドイツに併合される前夜のオーストラリアはオーストロファシズム(Austrofaschismus, 1934年~1938年)の一騎打ちという状況。その一方で反ファシズムを掲げ国際的に戦争反対運動を繰り広げたフランスの文化人ロマン・ロラン(Romain Rolland, 1866年~1944年)は「ソ連だけが最後の希望」と主張する様になりスターリンを絶賛しましたが独ソ不可侵条約(1939年)締結によって欧米の共産主義は大打撃を被ります。そうした状況下、ユダヤ人迫害を逃れてブラジルに逃れたシュテファン・ツヴァイクは、現地でリオのカーニバルの熱狂に当てられる一方、大日本帝国がフィリピンを陥落したニュースに接してシュテファン・ツヴァイクは「私が知っている古き良き欧州はもう戻ってこない」と確信し、夫婦心中を遂げたのです。
こうして各勢力がこぞって総力戦を準備し、実際それに突入していった背景にはマルサス「人口論(An Essay on the Principle of Population,1898年)」以来の悪夢的ロジック、すなわち「弱者から順に滅びていかねばならないとしたら、手段を選ばず他を蹂躙してでも強者として生き延びるしかない」な脅迫概念が世界の席巻があり、その現実をした時期として「まず自由主義が死に、ファシズムと共産主義の最終決戦が始まる」「現在進行中の世界大戦は、東洋と西洋の最終決戦となる」といった妄想が飛び交ったのです。確かにかかる次元だけ分析していては「NSDAPだけが悪かった」とは到底いえません。どれほどNSDAPが「よい事はしなかった」エビデンスを積み上げても「NSDAPの遂行した悪」には届かないのです。それならどう考えるべきなのか? こんな具合に救いのない「猿山のボス争い=唯一の中心の座を狙い合う諸勢力が構成するある種の極座標系」を水平軸として、それについてあくまで無相関に超越的に対峙する垂直方面の評価軸を立て、この方面から批判を加えるしかないのです。「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」に欠けていたのは、まさにこの観点であり、そしてまさしくその様な観点が当時を直接経験した生き証人の方々から見出せるのです。
垂直次元の視座その1:全体主義そのものへの批判
オーストリア学派を代表する経済学者たるハイエク(Friedrich August von Hayek, 1899年~1992年)は「誰もが最低限のルールは心得ている自律した個人の集合体があるべ秩序を浮かび上がらせる社会」を理想視する立場から全体主義の非人間性と非効率性を弾劾しました。
またフランスの発達心理学者アンリ・ワロン(Henri Wallon, 1879年~1962年)も1939年に発表した論文の中でファシズムの弊害について以下の様に説明しています。
もっぱら起源というものに宿命的重要性を与え、未来も過去もその正確な引き写しに過ぎないと考える。ヒトラーの「血と土」神話がまさにその典型であった。
自由な理性を集団的圧力によって屈服させようとする。
支配者に対して全人格的忠誠を誓わせる。当時のファシズムはこれこそが「人間関係の法則」を構築すると主張していた。
「ファシズムはこういうわけで、子供達が将来なるべき大人を台無しにしてしまう。ファシズムは子供の権利に対して最も厭うべき犯罪を犯しているのだ。反対に身分や国民や血統の区別なく、あらゆる子供たちを、彼らの人格を十全に花開かせる様な状況においてやる事、これこそ今日の理想であり、民主主義の理想なのだ。教育というのは知的な活動だけでなく、子供の人格を段々と実現させていく活動を全て励ましてやる事が必要なのだ」
こうした考え方は「とはいえ全ては生き延びてこそだろ?」なる全体主義者側の言い分を論破するまでには至りませんでしたが、その惨禍が過ぎ去った後の価値観再建に大いに役立ったとされています。
垂直次元の視座その2:「ナチス的詐術」に対する資本主義の優位を説く。
これに対してユダヤ人迫害から逃れる為にアメリカに亡命したピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker, 1909年~2005年)は、現地で1890年から1943年にかけてその生産力を五倍に爆増させた繁栄を目の当たりにして「合法的かつ合理的な企業の繁栄こそが「ナチス」に対する最大の防衛である」と確信するに至ります。実際、彼がマネージメント理論の基底に置いた経営者の行動指針「正しく反省し正しく進歩する」「恐れず対立を超えた問題解決を遂行する」は、自らが目撃した「ナチス的詐術」すなわち「誇大妄想的立場から手段を選ばず敵をこき下ろして喝采を集める一方、(善意の第三者たる立場を装い続ける為)自らへの言及は一切許さない」「プロパガンダとしての成否ばかり気にかけ、問題解決そのものには関心がないばかりか宣伝の材料として利用する事しか考えない」を完全逆転させたものに他ならなかったのです。この様な観点から繰り出された「ナチス批判」はかなり独特の色彩を帯びる事になります。
「詐欺師の八方美人」…各勢力が分断し会話の試みすら途絶えているのを悪用して将校と官僚の供給階層たるユンカーには「労働者や小作人を何とかしてやる」、労働者や小作人には「ユンカーを何とかしてやる」と囁いて双方の支持を集めるが、具体的に動くとどちらかの支持を失うのでそれはしない。
「意見の内部調節の拒絶」…NSDAP内部も激しく意見が分裂しており、会話が途絶えていたので、例えば戦時下労働力不足から収容所のユダヤ人が各企業に貸与された時も「ユダヤ人から最大限労働力を引き出すべき」派の指示と「ユダヤ人を一人でも多く殺すべし」派の意見が調整される事なく乱れ飛び、しかも企業側も権威依存主義的立場から可能な限り命令に忠実であろうとしたので現場は滅茶苦茶になった(それまで一介の京楽主義者に過ぎなかったシンドラーをボイコットに走らせた背景)。
ところでドラッカーが目撃したとされる「誇大妄想的立場から手段を選ばず敵をこき下ろして喝采を集める一方、(善意の第三者たる立場を装い続ける為)自らへの言及は一切許さない」とか「プロパガンダとしての成否ばかり気にかけ、問題解決そのものには関心がないばかりか宣伝の材料として利用する事しか考えない」といった「ナチス的詐術」に何か違和感を感じなかったでしょうか? 「ナチス・ドイツでは指導者原理に基づいてヒトラーが熱狂的に崇拝されていた」なる一般に広まった先入観との矛盾を意識したりはしなかったでしょうか?
そう「革命のモグラ」シェイエス(Emmanuel-Joseph Sieyès, 1748年~1836年)が総裁政府(Directoire, 1795年~1799年)時代に「利用可能な人物」と目したナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte, 1769年~1821年)
引き立てた時の様に、ある時期までアドルフ・ヒトラーも彼を選んだKing Maker達に傀儡として持ち上げられていたに過ぎなかったのですが、この様に戦争継続過程でNSDAPの滅茶苦茶振りが露呈するにつれ「最後の希望」として本物の崇拝対象に昇格していったのでした。何たる絶望的風景。もはや右も左もありません。かかる状況に勝利するには「合法的かつ合理的な企業の繁栄」しかないとし、その対処に「ナチス的詐欺」を置いたドラッカーのマネージメント論は、こういう展開まで見越した上で「経営に失敗した企業でも起こり得る展開」とした点において党派性から解放され現代なお輝きを失っていないのです。同じ相対論でも全く次元が違うといえましょう。
こうして全体像を俯瞰すると「ナチスは「良いこと」もしたのか?」の読後感が、落語「目黒のさんま」の最後に登場する「(いかにも不味そうな)秋刀魚汁」が重なってくるのです。
最終的読後感はまさにそれ。とりあえずはそんな感じで以下続報…
プロダクション・ノート
「この文章、どうやってまとめたの?」という部分に興味が出てきた方は是非以下をご覧になって下さい。文章量の関係で削除したトピックなども掲載されております。是非お手にとってお確かめ下さい。
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