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【とある本格派フェミニストの憂鬱11パス目】技術革新と認識革命②「1859年認識革命」仮説からの再出発。

前回の投稿を大胆に要約してみましょう。

  • 統計学の入門書的記述の多くが「手持ちの標本データのみで統計表現を試みるのが記述統計、背後に大きな母集団を想定するのが推計統計」と説明している。

  • しかし実際には「背後に大きな母集団を想定する」という意味合いにおいては(20世紀に入ってから追加された)分散(Variance)$${σ^2}$$の概念が追加された時点で推計統計の世界に足を踏み入れているとも。

機械学習の世界においては、両者の領域はさらにシームレスな形で連続しています。そう、いわゆる「過学習問題」…

実装の現場では「まず(記述推定寄りの、すなわち観察結果依存の)過学習モデルを構築し、しかるのちに(推計統計寄りの)対策モデルに発展させ、予測率の改善を図るのがセオリー」なんて考え方もある様です。この意味合いにおいては「推計統計は記述統計の自明な場合の拡張であり、機械学習は推計統計の自明な場合の拡張である」といえるかもしれません。

突如湧き上がってくる疑問。もしかして人類の歴史そのものが、この「過学習とその克服」の過程なのでは?

改めて「1859年認識革命」仮説に戻る。

ここでちょっとした寄り道を。私の一連の投稿は「史上初の世界恐慌」1857年恐慌によって既存価値観を揺さぶられた欧州人が一斉に…

1859年刊行のジョン・スチュワート・ミル「自由論(On Liberty)」、チャールズ・ダーウィン「種の起源(The Origin of Species)」、カール・マルクス「経済学批判(Zur Kritik der Politischen Ökonomie.)」といった新しい考え方に飛びついたとする1859年認識革命説を前提とする場合が多いのですが…

フランス文化史においては、青年フランス(小ロマン派)に代表される「国王と教会の権威に宣戦布告した」政治的ロマン主義が壊滅する一方…

  • 評論家として(詩人としては「特定の記号体系に立脚する言葉が、その構造によって人間の感情を揺さぶる」と考え、その記号体系を特定しようとした)エドガー・アラン・ポーや(編集者としてのエドガー・アラン・ポー同様、自分の作品が世間に読まれる為のマーケティングリサーチを手広く続けた)サド侯爵を1950年代のフランスに再紹介し、自らも詩集「悪の華(Les Fleurs du mal,初版1857年)」を発表した「象徴主義の父」ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire, 1821年~1867年)。

  • ボードレール経由でサド侯爵の影響を受け写実文学「ボヴァリー夫人(Madame Bovary,1854年)」を発表したフローベール(Gustave Flaubert, 1821年~1880年)。

  • 近代的器具を用いた実験で生物自然発生説の否定に成功し(1861年)、「あえて弱毒化した病原体に感染する事で免疫を得る」ワクチン概念を発見し、ドイツのロベルト・コッホと共に「近代細菌学の開祖」と並び称されるに至った細菌学者ルイ・パスツール(Louis Pasteur, 1822年~1895年)。

  • ダーウィンの進化論やクロード・ベルナール「実験医学研究序説(初版1865年)」などの影響を受け、自然(実証)主義文学「ルーゴン・マッカール叢書(1870年~1893年)」を発表したエミール・ゾラ(Émile Zola、1840年4月2日 - 1902年)。

などを「科学技術の進歩が既存の不可視領域をどんどん可視化していく時代」の代表として挙げる様です。イギリスやドイツへの強い対抗意識を感じますね。いずれにせよ当時の欧州先進国なら、どこでも同時期に価値観アップデートを迫られた事実自体に変わりはありません。

「科学技術の進歩が既存の不可視領域をどんどん可視化していく時代」といえば、当時はオカルトじみたメスメリズム(催眠術)の近代改修が図られた時代でもあります。1889年の国際学会で(催眠術を麻酔代わりに用いて成功した)スコットランドの外科医ジェイムズ・ブレイド(James Braid, 1795年~1860年)が提唱した「暗示説」を掲げる「ナンシー派」が、(メスメルの動物磁気説を発展させた)神経科医シャルコー(Jean-Martin Charcot, 1825年~1893年)の「生物磁気説」を掲げる「サルペトリエール派」を論破すると、その後釜としてシャルコーの弟子筋だった精神科医フロイト(Sigmund Freud, 1856年~1939年)が創始した「催眠術を一切用いない」精神分析療法が急速に台頭してくるに至った流れ。

そしてフロイトのモットー「さよう、自由は人を解放する。ただし自由にではない」とカール・マルクスのモットー「我々が自由意志や個性と信じているものは、社会的圧力に型抜きされて量産される既製品に過ぎない」を出発点としてマックス・ウェーバーやゾンバルトやマンハイムを輩出するドイツ社会学が発足する展開を迎えた訳です。

考えてみればこの「認識革命」、1857年不況が勃発するまで「世界中の生産地と消費地が鉄道の路線や汽船の航路で結ばれ、全体として巨大な単一市場に統合される」市場経済インフラの発展がそういう事態をも引き起こす事を誰も想像だにしていなかった事が衝撃を大きくした訳で、その過程全体が、ある意味「過学習とそれを克服するモデル構築」そのものだったといえましょう。どうして欧州は(というより欧州だけが)この問題に直面する歴史的展開を迎えたのか? 話はまずそこに遡らねばなりません。

今年はこの話が一通りまとめられたら御の字だ? そんな感じで以下続報…

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