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いつか忘れてしまうから「新生児〜生後1ヶ月」

 令和6年2月某日、君が生まれてきてくれた。
 生まれた時から可愛くて、私から見たら産院で一番可愛かった。
 退院直後、私は会陰切開の痛みとホルモンバランスの変化で心身ともに大きくぐらついていたけれど君の可愛さは揺らがなかった。
 産毛に覆われた桃のような頬、貝殻のかけらのような爪、あくびも寝顔も泣き顔も全て可愛い。何度自分の目がカメラであればと思ったことか。ふとした表情や行動は一瞬なので己の眼に焼き付けるしかないのが悔しい。だからせめて毎日必ず写真を撮った。すかさずアプリにアップロードして祖父母にも写真を共有した。
 ベビー服、おくるみ、スタイ、おもちゃ。沢山の出産祝いは可愛い君への貢ぎ物に見えた。
 私はセンチメンタルになる日も多々あった。私は三十五歳で君を産んだので、長生きしたいと思った。道行くおじさんを見て、おじさんになった君も見たいものだと目を潤ませた。
 君が生まれる前年はYOASOBIの楽曲「アイドル」が大ヒットした。歌詞の中に「誰もが目を奪われていく 君は完璧で究極のアイドル 金輪際現れない 一番星の生まれ変わり」という一説がある。君のことを歌っていると思った。   
 君が狂わせたのは私だけではない。私の両親で君にとっての「じいじ」と「ばあば」もそうだ。じいじは産院で初対面したあと「数日前に腹の中だったことが信じられぬ程くっきりした目鼻立ち。神様からの贈り物では?」と言っていた。じいじとばあばはこの翌月には初節句の五月人形のためにデパート二軒と浅草橋の久月をハシゴした。後期高齢者のじいじと出不精のばあばに足を運ばせる君の可愛さよ。
 夫の両親である「おじい様」「おばあ様」もきっと同じ気持ちだろう。顔をほころばせて君を抱っこするし、写真アプリのログイン時間はいつも24時間以内だもの。

 生後一ヶ月を過ぎると私達親は少しだけ君のお世話に慣れてきた。
 夫の協力が減ってきて私は少し不満を持った。しかし君の長い睫毛と切れ長の瞳が、夫が君の構成要素の一部であると思い出させる。そうなるとやはり夫も大切な存在だと思い直すのだった。
 お世話に慣れてきて余裕が出来たせいか、君のことを文章に残しておきたいと思った。
 キックが得意ですぐにおむつ丸出しになってしまうこと、お風呂と抱っこが好きですぐ泣き止むこと、布の方が大きくて包まれている姿がクリオネみたいなこと、寝ながらオナラをして寝言を言っていること、お腹がすいて大粒の涙を出させてしまったこと。
 これらの可愛さをいつか忘れてしまうから。私の脳が忘れても、読み返したら思い出せるように書き残すことにした。

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