
いまでも思い返してしまうnoteたち
こちらのコーナー?は随分と久しぶりの更新となってしまいました。noteを読んではいて、いつか感想を書きたいと思っていましたが、音声配信が続くのに比例して、noteを書けなくなってしまったのです。
けれどもあれこれ考えてはやっぱり定期的に書きたくなり、去年に置き忘れてきてしまったnoteを、この場を借りてご紹介させてください。
▼ 1. 「嫌な仕事を人に押し付けるではなく、軽量化出来るように協力し合えないだろうか。」 あやとりりいさん
押し付けた方は他人の使い方を知って、楽になるかも知れない。しかし、アルバイトも後輩も退職してしまったよ。
何より仕事を共に、協力してとならないと、人間関係が終わってしまう。
仕事現場で起きる負の連鎖にとても思い当たりがあり、強く考えさせられました。自分のところで食い止めようとされる女性の気持ちが痛いほどわかり、読みながら同じ仲間として寂しくもなり、一方で嬉しくもなりました。
仕事という単位で考えてしまうと負の連鎖はプロジェクトが終わるまで明るみにならなかったり、人が辞めてはじめてそのツケが暴かれるなど長く時間軸を要してしまうもの。
敏感な人、抱えきれなくなってしまった人から先に荷物を下ろすようにして退職していくのは致し方ないと思いつつ、繊細な自分しかその連鎖に気づいていないときに、抱いた違和感は引き継がない強い意志の大切さを改めて教えていただきました。
▼ 2.「設計者は「図面に描いてありますから」と言ってはいけない。」 笹岡 周平 |空間デザイナー/株式会社ワサビ 代表取締役さん
仮にそうだとしても「図面に描いてありますから」とは言ってはならない。
少なくとも僕は言わない。
言わないようにしている。
あぁ、設計者という職能がもたらす弊害だなぁと読みながらしみじみ思いました。美大時代、完成した作品を見てもらう場において、作品へのコメントをとことん拒否する人がいました。
ものづくりにおいて「作る」工程だけを楽しみたい人は一定数いて、作られたそれは自分のそばで愛でる対象となり、他者からの批判は受け付けなくなる。卒業制作で作品を展示した際、ほとんどの人が展示会場に在廊せず他者からの言葉に耳を傾けない姿勢を貫いていたことを思い出しました。
自分だけで閉じる世界が嫌で、毎日在廊しては作品をともに鑑賞して、何なら観ていただいた方の視点を受けてその場で作品をアレンジしていたなと思い返しながら、作ったものをどのように取り扱うのか?はその人の喜びに密接に関わっていて、良くも悪くも他者と介在しないものづくりをする人をどこか憎めない自分もいるのです。
▼ 3.「便利さの綻びに感じること」 藤原あかりさん
あれ、なんの話だったっけ。
そうだ、人の手に負えないところの綻びが、現状を再認識する契機にもなるよねっていう話がしたかった。
なんだっけ?から俯瞰的にまとめる結論が鮮やかで、ふむふむと納得して読んでました。
すこし話が変わってしまうかもしれませんが、最近セルフレジを体験したときに、ものすごく覚束ない仕草で時間をかけながらピッピッとする様がとても楽しかったことを思い出したのです。
今までも見ていた、いや見ていなかった店員さんの素早いレジさばきを脳内で描きながら、一つ一つの段取りを丁寧にこなしていく。
誰かのレジさばきはあれだけ早くと気になったのに、自分の場合はかかる時間は気にならず、体験しているうちにどこかで自分でもできたと言う嬉しさがこみあげてくる。今までお客さんとして向き合ってきたコンビニで、思いがけず職場体験をしたような充実感。便利とは対極にある感情が呼び起こされました。
カフェで作業するのが集中できるのは、自分だけではない誰かの視線を感じられるからで、このコーナー?も勝手ながら取り上げさせていただいた方の視線が緊張感をもたらして、書くことにより真摯に向き合わせてくれます。
一人語りはstand.fmで続いていますが、この場では読まれる緊張感を味わいながら書くことに向き合っていこうと思います。
※勝手ながら取り上げさせていただいたあやとりりいさん、笹岡 周平 |空間デザイナー/株式会社ワサビ 代表取締役さん、藤原あかりさん、どうかお許しいただけますと幸いです。