マリブは何度でも蘇る。手放すことで得られた幸せ。
夏になると読みたくなる作家が何人かいるのですが、TJR(Taylor Jenkins Reid)はまさにその1人です。
前作の「Daisy Jones &The Six」という本は、幸運にもパンデミック直前に行けた初夏のアメリカで読みました。ある場所に行く時は、その土地を舞台にしたり、その国の人が書いている本を読むのが好きなので…、なんとなく感じが出るような気がするのです。
今作「Malibu Rising」もアメリカ行きの飛行機の中で読みたいなぁ、と思っていたのですが、残念ながら今年の夏はアメリカへ行く機会に恵まれず、せめてもの楽しみに、と取っておいたのを最近読みました。
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1983年の夏。それは毎年恒例 Nina Rivaのサマーエンドパーティの開催日。サーファー兼スーパーモデルの 美女Nina、その弟のハンサムなサーファーJayと インテリなフォトグラファーHud、ボーイッシュな魅力がある末っ子の Kid の Riva一家。
彼らは、名のある人は誰もが Riva家に関わりたい、と願うほどのマリブの有名一家で、世界的な成功を収めた伝説の歌手 Mic Rivaの子供でもありました。
その夜、12時ごろまでにパーティは完全にコントロール不能になり、明け方ごろまでに Ninaの豪華なマンションは炎に包まれる事態に…。
火災が起こる前、パーティではとんでもない量のアルコールとドラッグが循環し、そこら中で音楽が鳴り響き、そしてRiva 一家の誰もが心の底にひた隠しにしていた秘密が暴かれようとしていました。
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私はアメリカの1960年代のピッピーカルチャーに興味があり「Love& Peace」と「暴力」が同時的に存在していることが関心事。
『60年代の暴力というのは、多くの場合闘争か、あるいは抵抗のための暴力だった。それが正しいかどうかはともかくとして、そこにはたしかに分かりやすい美学があったのです』
と、いうのは「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」で村上春樹が書いた一節。
TJRの小説はどれも1950年代後半から80年代前半を舞台にしていて、彼女の小説の中に登場する人物はいつも、ドラッグやゴシップ、セックスの結果といったどうしようもない日常や社会に抵抗し、自らの力で心の平和を勝ち取りに行く、村上春樹が書いた「分かりやすい美学」があります。
その過程で、誰かや何かを諦めたり、諦めたことで手にした幸せを噛み締めながら、フト過去を振り返った時に「あの頃の私たち、悪くなかったよね」といえる青春時代。誰もがそんな思いを心の底にソッと閉まっているんじゃないかなぁ、と思える良い作品ばかり。
マリブは何度無くなってもライジングするのだから(Malibu Rising )人間だってきっとやり直せる、と思えた本作。最高でした。
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話は少し脱線するのですが…。
パンデミック以後、毎日のようにsnsで誰かが平和や平等を訴えるために社会に抵抗しているのを目にする度に、1960年代のアメリカはこんな感じだったのかな、と思うのですが、そんな時に思い出すのがTJR の小説に出てくる人たち。
感情的に怒るのではなく、そっと感情の距離を置く。
ぶちまけたい怒りを手放す。
そうすることで見えてくるモノがあるのではないかと思います。
そういう意味で怒りと共に成長できる社会が再び訪れると良いなぁ、と考えたりした夏でした。