2.『岩田さん』の文章が特異な2つのこと|『岩田さん』の話をしよう|永田泰大×糸井重里×古賀史健 #岩田さんのつづき
(イベント主催であるほぼ日さんの協力をいただいて作成しています)
永田さんと古賀さんの『岩田さん』の話は、前回の「てらいのない自信」の話をきっかけに、プログラマーとしての岩田さん、経営者としての岩田さんへと深まっていきます。
33歳でHAL研(HAL研究所)を率いる社長になった岩田さん。ほぼ日を訪れるたびに言葉を重ねたもうひとりの経営者、糸井重里さんとのおしゃべりを永田さんはどのように1冊の本へとまとめていったのでしょう。
経営者としての岩田さんと、プログラマーとしての岩田さん
古賀:
岩田さんには、天才プログラマーという顔と、すごい経営者だという、ふたつの顔があると思うんです。
ファンとして、どうしても「経営なんか誰かに任せて、もう一度、好きなプログラムに集中する環境をつくってあげたい」と、思ってしまうんですけど。
でも、この本を読むと、やっぱり経営者のほうが天職なんじゃないかなという気がしないでもないんですね。
永田:
あー。
古賀:
岩田さんご自身も、「もうちょっとプログラミングだけに専念できればいいのにな」とおっしゃるかもしれないけど。
本当は経営とか組織をつくっていくというのが好きで好きでたまんなかったんじゃないかって気がするんです。
そのあたりは、近くで接してどう思いますか?
永田:
プログラミングのことは、確かに「いつかやりたいこと」というか、昔のHAL研の時代であれば「週末に全部終わってからやること」と考えられているようにぼくは思いました。
……どうなんですかね。
プログラミングと経営を「どっちが」というふうに語られたことは……ないですね。
でも、岩田さんのようなプログラマーはひょっとしたら……ほんとにこれは素人考えですけど、探せば同じレベルの人はいるのかもしれないです。
けど、岩田さんのような経営者となると、なんだかすごく、想像しがたいというか。
古賀:
しがたいですね。
永田:
そういう気持ちはありますね。
あと、これからほぼ日でコンテンツにする予定なんですが、「スマブラ」をつくった桜井さんに取材をしておりまして。いずれ読めるかたちになると思うんですけど(1月27日に公開されました)。
その取材の中で「そうなんだ!」と思ったのは、桜井さんと岩田さんというのは、普通のかたちで仕事をしたことはなかったそうです。
というのは、メインのプログラマーとして岩田さんがいて、企画者として桜井さんがいて、というチームが正式に組まれたことは1回もない。
で、もっと言うと、岩田さんが開発チームにプログラマーとして最初からいたことがほとんどない。
古賀:
岩田さんが。はぁー。
永田:
岩田さんが行くのは、全部トラブルとか難しいことの解決者としてなので、企画がまっとうに動いているときはチームにいないんですって。
だから、プログラマーとして自分が「時間が空いたらやりたいなぁ」という考えとはちょっと前提が別なんじゃないかなあ、という気がするんですね。
岩田さんって、HAL研が傾いたあたりから常にピンチを救っている感じなので。
古賀:
33歳でHAL研の社長になって、ずっとそれから経営……。任天堂に移ってからの2年間は違いますけど、そのあともずっと経営。
だから、経営者としての岩田さんというのが、ぼくはホントに天職……
永田:
だったような気がしますね。
古賀:
岩田さんの言葉や語り口は、すごくやさしいので、『岩田さん』という本も一見するとやさしい本のように読めるんですけど。
実はものすごく厳しい言葉も書いてますよね……。
永田:
そうですね。
古賀:
それって、実際に岩田さんとお話されたり、糸井さんとの対談を横で見てたりして、永田さんが聞いてて身をつまされるような、なんかこう……「怖いこと言うな、この人」というような場面とか言葉ってありましたか?
永田:
ほぼ日で話す部分には、あんまりなかったですかね。
任天堂がある京都から東京への出張とかで立ち寄っていただいて、糸井としゃべるのが基本的だったので。岩田さんが「任天堂の社長」である会社の場に、ぼくはほとんどいないんですね。
古賀:
そうですね。
永田:
取材とか、任天堂のコンテンツである「社長が訊く」のインタビューの場にはいるんですけども。
それでいうと、直接はないですがちょっと思い当たるのは、『岩田さん』の本にある宮本さんのインタビューをしたときに、任天堂の方も同席してくださっていて。
宮本さんが話している中で、「でもまあ、厳しいとこもあったよね?」と、その同席している人にちょっと振ると、「それはもちろんありました」というような、こっくりと深いうなずき方をされたんです。
そこから察するに、ちゃんとそういう面もあったんだろうなと思います。
でも、社長ですから。当然といえば当然ですよね。
古賀:
まあ、そうですね。
「ちょうどいい楽しい仕事なんかない」という怖いことおっしゃっていたり。
でも、そのとおりですよね、実際。
永田:
やっぱり、やりたいこととか、岩田さんのおっしゃる合理性とかも、社内の全員が全員納得するわけではないだろうし。価値観も違うから。
そこはやっぱり、押し通すところは押し通したんだろうな、というのは思います。
でも、岩田さんに限らず、それはもうあらゆる組織の上にいる人が苦労しているところなんじゃないかなと思いますけどね。
古賀:
経営者として、HAL研の社長だったときと任天堂の社長になってからと、その違いについて何か語られていたことはありますか?
永田:
本の中でも丸ごと「ない」ので気づいている人もいるかと思うんですけれども。
HAL研の社長になったことは冷静に語られているんですけども、任天堂の社長を引き受けたことは全く語られてなくて。
やっぱり、亡くなるときまで社長でいらっしゃった方なので。現職について語ることの難しさもあるし、それを公の場で語る意味のなさとかもあるだろうし。
むしろ、語っちゃいけないこととして、あえて言わなかったんだろうなと思うんですね。
だから、「社長としてどっちの責任が……」というように語られたことはないです。
聞いてみたかったですけどねぇ。
『岩田さん』の文章が特異な2つのこと
古賀:
本の発売は7月末でしたっけ?
永田:
7月30日ですね。
古賀:
反響としては、どういうものが多いですか? 読者の声として。
永田:
やっぱり岩田さんの人柄みたいなところを感じ取ってくださっている反響が多い気がしますね。
ぼくも、そうなるといいなとは思っていました。利益が何倍になるとか、会社が儲かるとか、そういう本ではないので。
ビジネス書のところに置かれてはいるんですけども。
やっぱり岩田さんという人に対する感想が多いですかね。
古賀:
ぼくがTwitterとかで検索した限りだと、「岩田さんの声が聞こえるような気がする」というような感想がとても多くて。
永田:
そうですね。それは言われますね。
古賀:
ぼくも実際そう思ったんです。
ただ、岩田さんの声は基調講演とか記者発表とかの声しか聞いたことがなくて、たぶんその声と普段話す声は違うじゃないですか。
永田:
違いますね。
古賀:
でも、きっと永田さんはこの原稿をまとめているとき、岩田さんの声が頭に響いていたと思うんですよね。
まとめていく中でぼくはたまにあるんですけど、4年経ったとはいえ書きながらちょっと涙が出てきて手が止まるとか、そういうことはなかったですか?
永田:
ああー。
えーと……。
そういう気持ちに高ぶることはなかったですね。
古賀:
なかった。
永田:
でも、ふだん、岩田さんのことを考えていて、気持ちが高ぶるスイッチはあちらこちらにあるので、いまだに「おっと」っていうのはよくありますけども。原稿をまとめるときは別の頭でやっていますね、完全に。
あとは、前に自分が編集したものともう1回向き合う感じなので、その分、岩田さんの声がそのままというよりは、ワンクッション置けているのかもしれないですねぇ。
古賀:
ああ、そうか。
編集のときの自分もそこに入るし、そのときの糸井さんも入るし。
永田:
思い出すというよりは、そういう仕事として向き合う感じですかね。
古賀:
実際の執筆期間というか、原稿をまとめ始めてから本ができあがるまでは、どれくらいでしたか?
永田:
結構それはお待たせしている部分があって。
例えば、追悼本として1年後に出すとかだったら急いだと思うんですけど。そういうつもりは本当になかったので。
本として残して伝えたい、岩田さんという人がいなくなるよりは、残したいっていう気持ちでいたので。
それを例えば「この日までに急いでまとめよう」というのは、ちょっと違ったので。
あるところまでまとめては、ちょっと他の仕事をやり、みたいな感じでした。
だから、4年かかっていますけど、まあ……まだらに4年かかったという感じではありますね。
古賀:
じゃあ4年間は、ずーっと頭の片隅にこの本の存在が。
永田:
ありました、ありました。
なんか、「やらなきゃな、出さなきゃな」っていうのが。
古賀さんにもきっとあると思いますけど。
古賀:(笑)
永田:
でも、なんかそれは、重いものではなかったですね。
古賀:
あ、そうですか。
永田:
もちろん、仕事としてやらなきゃという、その重みのようなものはあるんですけども。
「時間ができたらあれに取り組むぞ」という楽しみのひとつでもあって。
それはおもしろかったし、「終わってほしくない」とまでは言わないですけども。
「ああ、早く終われ、終われ」とは、あんまり思わなかったですね。
ちょっとずつこう、粘土細工を整えていくみたいな感じがありましたね。
だから逆にいうと、7月11日(岩田さんの命日)に発表しようというのは最後のほうに決めたんですけれども、あれがなかったら、もうちょっといじっていたかもしれないですし(笑)。
古賀:
まあ、締め切りがないほうが難しいですよね。
永田:
難しいです。
でも、それぐらいでちょうどよかったねというのは、糸井とも話していて。
それは、糸井が岩田さんの奥様にできあがったばかりの本をお渡ししたときに、「今なら冷静に読めるけれども、1年前だとあまり冷静には読めなかったかもしれない」とおっしゃっていたそうなので。
結果的に、ですけれども。
良かったのかなとも思います。
古賀:
本の目次を見ると、第一章の「岩田さんが社長になるまで。」から、第六章の宮本さんと糸井さんの「岩田さんを語る。」まで、材料としては本当にバラバラなものじゃないですか。
「では、今日は社長になるまでを語ってください」というように取材したものでは全然ないですし。
構成をこういうふうに分けようというのは、自然にできました? 結構苦労しました?
永田:
わりと自然だったですね。
助かったのは、やっぱり岩田さんという人のすごさだと思うんですけれども、話す内容が一貫しているんですね。
例えば、1年2年違った時期に、違った場所で同じようなテーマの質問をしても、やっぱり同じ答えが返ってくる。それは「働くこと」だったり「リーダーシップ」だったり。整っているんですね。
だから、話の「継ぎ目が上手くいかない」ということがあんまりなくて。
古賀:
ああ。それは。
永田:
「あらかじめ整理した状態で話している」という岩田さんの個性に助けられたところがあります。
古賀:
岩田さんのインタビューは、他のメディアでも時々あるじゃないですか。読むと、岩田さんの文体ってやっぱり統一されているんですよね、他のライターの方が書いたものであっても。
それは、岩田さんが普段話している言葉がもう、そうなんだろうなという。
永田:
そうですね。
特に、任天堂の社長になってからだと思うんですけれども、「自分の発言がメディアにどう切り取られるか」ということについては、その危険性みたいなことも含めてよくわかっていらっしゃったと思います。
だから自分が発言する前に「どう切り取られるか」を、客観的にグルッと眺めてから発言されていたようなところがありますね。
それがこうじて、「社長が訊く」になったり、ニンテンドーダイレクトになったりとかするんですけれども。つまり、直接伝えるといちばん誤解がないというところに達したんだと思うんです。
岩田さんの発言がそもそも整っているので、本にまとめるのも自然とこの構成になっていったというのはありますね。
古賀:
さっき、対談をまとめるときの難しさもお話されていましたけど、考えが整理されているという意味では、岩田さんの言葉を原稿にするというのは、迷わずたどり着きやすい作業なんですかね?
永田:
そうですね。
ちょっと専門的になりますけど、論理がよじれたりする方ではないので、それはすごく助かりますね。
そういう意味でぼくが、もうひとつ編集の立場で楽をしているのは、常に糸井へ向けて話している言葉なんですね。本に書かれている岩田さんの言葉はすべて。
だから、そこのテンションは一定だし、相手に対する距離とか信頼が常に一定なんです。
古賀:
なるほど、なるほど。
永田:
どの対談も同じ信頼で、同じテンションで話すので、どこの時間のどの論理をつなげても、わりとなじむというか。
足かけ何年、みたいな対談をまとめているんですけども、あまりそれを感じさせない。
古賀:
確かに、確かに。
永田:
だから逆に、「ニンテンドーDS」とか固有名詞が入ってくると、急に「あ、古い話なんだ」と思っちゃうみたいなところがありましたね。
(つづきます)