【エッセイ】チャンバラを真剣にやる部活です。
月に一度ほど三浦半島の温泉に行く。横浜から京王線で一本、終点の三崎口まで一時間はあるので、本を読んだりぼんやりして過ごす。
今回は吉本ばななさんの”「違うこと」をしないこと”をお供にした。
違うことをしない―そこにたどり着くまで吉本さんも大変だったんだなぁとしみじみ。デビュー当時のエピソードなど興味深く読んだ。
ただどうしても看過できない箇所があったので、一部抜粋させていただく。
”大学時代、私は、しがらみとしか言えないヘンな流れにのっかって、茶道部に入っていました。ハッキリ言ってめちゃめちゃ向いてませんでしたね。
忘れもしない、茶道部の隣が殺陣同志会で、OBに真田広之さんがいたんですよ。なんであっちに行かなかったのか。でも、もし殺陣同志会に入っていたら、ただ「楽しかった!」で終わっていた気がするのです。茶道部は、部活だから本当に厳しくて、合宿とかもあって、ひとり十回お点前とか、死ぬほど点てたもん”
た、の、し、い……? 吉本先生は誤解をしていらっしゃる。殺陣同志会は日本で最もチャンバラを真剣にやる部活です。
「あー、いいと思うよ。うちは礼儀なんかも厳しいからしっかりするしね」
二十年以上前の春、勧誘のデスクに行った私にその人は言った。随分綺麗な人だなと思ったら、千葉真一と野際陽子の愛娘・真瀬樹里さんだった。
役者を目指す人が多いからかもしれない。当時の同志会はやたら格好いい先輩が多く、校内を和服で歩く姿は特に目を引いた。新歓コンパで披露した立ち回りはプロさながらで、入部希望者はあとをたたなかった。
なんて華々しい! 上京したての私は感動した。何せ人づきあいが苦手で、こと学生生活においては中高と暗黒の時代を過ごした記憶しかない(高校に至ってはリタイア)。あぁ、ようやく夢のキャンパスライフが始まる―と期待に胸を躍らせた。
しかし、稽古が始まったとたん優しかった先輩たちの態度が一変した。それはもう人間不信レベルと言っていい。
厳しさは想像をはるかに超えていた。声は枯れ、筋肉痛と痣に耐える日々。疲れすぎて午前の授業には出られない。香水の代わりに常にエアーサロンパスの匂いを撒き散らしていた。
鉄拳制裁もあたり前だった。なってない、とビンタされた挙句「男ならグーで殴ってる」と言われたこともある。今なら完全にアウトだろう。当然脱落者が続出した。夏の合宿所はサティアンと呼ばれ逃亡する者まで出た。あまりの辛さに残った仲間と泣きながらサラシを巻いた。
もし過去に戻れると言われても、大学を卒業した時点にしか戻りたくない。記者になりたくて入った学校だったけれど、大半を刀を振って過ごした。もちろんペンを握った時間よりもずっと長い。
ただ、おかげで大概のことに耐えられるようになった。先輩、同輩、後輩ともいまだにやり取りがある。私は同志会を通し仲間という存在を知った。
もし生まれ変わっても、きっとまた入部してしまうだろう。その点では吉本さんと意見が一致する。ぜひ今度は茶道部ではなく、殺陣同志会に入っていただきたい。『キッチン』のような名作は生まれなくなってしまうかもしれないけれど。
ところで、先日NOTEを始めて三ヶ月ですとの案内が届いた。えっ、もう?と思った。印象に残っているのはやはりオンライン飲み会。突然の参加にも関わらず皆さんとても親切で、新鮮で楽しいひと時だった。新参者だけれど人数の兼ね合いが問題ないようなら是非また参加させていただきたい。
小説を投稿した当初は、うーんやはり長いものは読まれないのかしら……と考えたりもした。でも見ず知らずの人がコメントをくださり、嬉しくて涙が出てしまった。今までも一人で書いてきたことを思えば本当にありがたい。あぁ、読んでくださる方がいるのだなぁと実感することができた。
なので、また新しい話を投稿していきたいと思います。ここまで読んで下さりありがとうございました。