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小澤裕之評 ジョージ・ソーンダーズ 『ソーンダーズ先生の小説教室――ロシア文学に学ぶ書くこと、読むこと、生きること』(秋草俊一郎/柳田麻里訳、フィルムアート社)

現代アメリカの注目作家による、ロシア文学ぶっちゃけ講義――「神秘だね」「書くことの?」「書きつづけることの」

小澤裕之
ソーンダーズ先生の小説教室――ロシア文学に学ぶ書くこと、読むこと、生きること
ジョージ・ソーンダーズ 著、秋草俊一郎/柳田麻里 訳
フィルムアート社

■A「ソーンダーズってだれ?」
B「現代アメリカ文学のなかでも要注目の作家だよ。ブッカー賞も受賞してるし。いまはアメリカの大学で文芸創作を教えてる」
A「じゃあ、そのソーンダーズ先生の授業内容が本書に収録されてるってこと?」
B「そ。でも小説の書き方だけじゃなくて、読み方も書いてあるんだよ。むしろ読み方のほうが大きな比重を占めてると言っていいかも」
C「ソーンダーズ先生が小説をひとつひとつ読み解きながら、それらを題材に、自分の創作の秘密も教えてくれるんだ」
A「どんな小説を読むの?」
C「十九世紀から二〇世紀初頭に書かれたロシアの短編小説。しかも作者は、チェーホフ、ツルゲーネフ、トルストイ、ゴーゴリ。みんな、世界に名だたるロシアの文豪だよ。本書には、かれらの書いた短編七本(チェーホフ『荷馬車で』『かわいいひと』『すぐり』、ツルゲーネフ『のど自慢』、ゴーゴリ『鼻』、トルストイ『主人と下男』『壺のアリョーシャ』)もロシア語原文から訳出されてて、私たちは実際に小説を読みながら、ソーンダーズ先生のロシア文学講義を受けられるってわけ」
A「でもなんで、百年以上前のロシアの短編小説を読むことになったの?」
C「ソーンダーズ先生曰く、『若手作家がこの時期のロシアの短編小説を読むのは、若手作曲家がバッハを学ぶようなものだ。短編小説という形式の根本原理がみな揃っている』。だそうだよ」
A「短編小説という形式の根本原理?」
B「たとえばソーンダーズ先生は、『無駄なものはいっさいない』ことを短編小説の暗黙の約束事に挙げてる」
C「フィクション全般の必須事項としては、ディテールをたくさん活用することや、事態をエスカレーションさせることの重要性をくり返し説いてる」
A「小説を書く上で大事なそういうポイントをロシアの短編小説から学ぼうってことか」
B「『盗めるものを探すために読むんだ』。ソーンダーズ先生はそう言ってるね」
C「本書のおそらく最大の特徴は、ソーンダーズ先生のこの率直でぶっちゃけた語り口だと思う。『ぶっちゃけ』って言葉も本書からの引用だよ。そういう意味では、たとえば『ナボコフのロシア文学講義』のような、作家がロシア文学を解説する類書とはずいぶん印象が違う。ナボコフも自由闊達だけど、意外ときっちり書いてるからね」
B「ソーンダーズ先生は、自分の身に起きたことや、学生といっしょに考えたことを随所に挿入してきて、ときどき『わはは』なんて笑ったりするよね」
A「現代日本にも、筒井康隆や村上春樹みたいな有名作家が短編小説について語った本があるけど、これらはそもそもロシア文学オンリーじゃないしなあ」
C「やっぱり本書は独特だよ」
A「先生が講義でしゃべるのを聞いてるみたいに、ロシアの小説について考えられるってわけだね。ちなみに、おふたりのお気に入りの講義はどれ?」
B「チェーホフ『荷馬車で』を読む、最初の講義かな。チェーホフの短編小説を文字通り一ページずつ熟読するんだけど、先の展開をソーンダーズ先生といっしょに予想しながら読むから、このあといったいどうなるんだろうって、まるで小さい頃の読書みたいにわくわくして、チェーホフを読みながらこんなに先が気になるなんて、自分でもびっくりした」
C「チェーホフは、物語の展開や起伏で読ませるというよりは、人生の哀感やしみじみとした情感で読ませる作家だからね」
B「それが世間の常識だとしても、ソーンダーズ先生の手にかかれば、チェーホフは歴戦のストーリーテラーだってことがわかる。しかも先生はこう問いかけてくるの。『あなたが作家なら、次はどうする?』って」
A「書くように読む」
B「それな。もし自分が『荷馬車で』を書いていたら、あなたならどうするか考えてごらんって言うの。そうやって考えながら読んでごらんって」
A「チェーホフ作品は本書で一番多い三本も収録されてるし、もしかしたらソーンダーズ先生の熱の入れようも一番なのかな?」
C「私を煽ってない? たしかにチェーホフの講義もすばらしいけど、個人的に一番はトルストイだね。まず小説そのものが心をゆさぶる(まあ、チェーホフの小説もだけど)。本書はロシアの短編小説アンソロジーという側面もあって、そういう意味ではやっぱりトルストイの小説は本書の白眉だよ。『主人と下男』と『壺のアリョーシャ』は甲乙つけがたいけど、講義とセットで好みを言えば、『壺のアリョーシャ』かな」
B「講義がよかったってこと?」
C「そうなるね。ソーンダーズ先生によれば、『壺のアリョーシャ』は作者トルストイの思惑を超えてる。曰く、『トルストイは祝福するつもりのものを意図せずに呪ってしまったのだ』。しかもその原因は、技術的に修正可能な問題にあるという。それなのにトルストイは修正しなかった。『決定を先延ばしに』した。でもだからこそ、この小説は『完璧』になったのだ、とソーンダーズ先生は言うんだよ」
B「ソーンダーズ先生は、くり返し推敲することを推奨してるよね」
C「うん。私は最初、ソーンダーズ先生はあまりに楽観的すぎるんじゃないかって気がしてた。だって推敲したらかえって悪くなることもあるから。でも推敲するともっとよくなる、というよりは、推敲するともっと自分らしくなるって意味なんだね。推敲を先延ばしにしたことで、トルストイらしさは深まらなかったかもしれないけど、先延ばしにしたそのタイミングが、小説の完成度が極点に達する奇蹟的な瞬間と一致したんだ」
A「神秘だね」
B「書くことの?」
A「書きつづけることの」
 (ロシア文学研究者)

「図書新聞」No.3670・ 2025年1月11日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。


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