眞鍋惠子評 乙川優三郎『立秋』(小学館)
風雅な趣の漆器が結んだ男と女の物語――信州からパリへ、二人のなりゆきはどこへ向かうのか
眞鍋惠子
立秋
乙川優三郎
小学館
■きっかけは漆塗りの美しい盛器だった。乙川優三郎の『立秋』は、東京の資産家の男と塩尻の漆工の女の大人の恋愛を男性の視点から描く。
これまでも翻訳家や作詞家、コピーライター、小説家など「書く」職業の人物を描いてきた乙川の前作『クニオ・バンプルーセン』の主人公は、編集者だった。今回の主人公光岡は、親から譲り受けた不動産を管理するかたわら、気が向くと小説を書く。若い頃に小さな文学賞を受賞したきりだが、漆職人の涼子と知り合いそのものづくりへの姿勢に刺激を受けて再び書くようになった。光岡が時折口にする、小説を書くことへの思いや読者や世間への反発のような言葉には、もしかすると著者の本音が隠れているのかもしれない。「共感できることを期待して読み、共感できないことに失望する。そんな読書はなんの役にも立たないはずであるから、光岡は敢えてそういう人生もあるのだと書いてやるのだった」「知らない世界に分け入りながら、自身の生きようを絶対化して毛嫌いする。まったく無駄な読書だ」
店先でたまたま見かけて気に入り購入した漆器は、塩尻の女性の作品だった。光岡は作者がどんな人物かすぐに確かめに行き、涼子と出会う。それから十年以上関係は続いている。光岡は毎年夏の間、小説の執筆にかこつけて塩尻の旅館に長逗留し、漆工としてひねもす漆を塗る日々を送る涼子と過ごす。東京の不動産の管理は妻に任せっきりでも支障はないからだ。一人息子にも若者らしい葛藤や迷いがあり問題も生じるが、放任主義を標榜する光岡はなるようになればいいと考えている。
作品が伝統工芸展に入賞したことから、涼子にパリのデパートでの二人展の話が持ち上がる。輪島塗の若い漆工との共演と即売会だ。自分たちの関係の緩やかな流れに変化の兆しを感じる光岡。「女の先行きに関心もあれば責任も感じている光岡は、ふと曖昧な関係を修正するときがきているかと思った。涼子は漆工として成功するか、結婚して幸せになるべきであったし、彼は彼で楽な生き方はやめて、佳品のひとつくらいは書かなければならない歳であった。けれども、長いときをかけて養生した間柄をあっさり捨てる根性もないのだった」
結局、懇意のバーのママと一緒に、二人展開催中の秋のパリまで行く。しかし涼子には渡仏を知らせることもなく、また展覧会に足を運ぶこともなかった。翌年の夏には今までどおりの逢瀬を重ねる二人。やがて涼子に漆工として更なる飛躍の舞台、ヨーロッパでの新しい仕事が見えてくるとき、光岡はどうするのか。
主な舞台は塩尻とその周辺。湖畔で花火を見る諏訪湖、湖と遠くの富士山を眺める高ボッチ高原、葡萄畑を訪ねる桔梗ヶ原。信州の済んだ空気と広い空が広がる。それを描く著者の筆の華麗は今作でも健在だ。輪郭のはっきりしない、どこにもたどり着かない二人の関係を、冴えわたる夜空に輝く三日月のように清澄な言葉で描き出す。ときには少し古めかしい表現も顔を出すこの日本語の美しさこそ、乙川優三郎を読む最大の楽しみだと言えよう。
「男は最初の恋人になりたがり、女は最後の愛人でいたい」と歌う曲があった。しかし光岡にも涼子にも、当てはまらない。ゴールのない大人の恋のなりゆきで二人が見つける幸福は、どんなものになるのだろうか。
(翻訳者/ライター)
「図書新聞」No.3665・ 2024年11月30日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。