滝野沢友理評 アリ・スミス『五月 その他の短篇』(岸本佐知子訳、河出書房新社)
評者◆滝野沢友理
岸本佐知子とめぐる、現代英国を代表する作家による不思議な十二ヶ月――先が見えず純粋に一行一行を追う楽しみに重点が置かれた作品を日本語で存分に堪能できる
五月 その他の短篇
アリ・スミス 著、岸本佐知子 訳
河出書房新社
No.3596 ・ 2023年06月24日
■本書の著者であるアリ・スミスは、一九九五年のデビュー短篇集を皮切りに高い評価を得て数多くの賞を受賞し、二〇一八年にはタイムズ文芸付録によるアンケート「現在最も優れたイギリスとアイルランドの小説家」で一位に選ばれた。日本でも二〇二〇年から二〇二二年にかけて新潮社から『秋』『冬』『春』『夏』の「四季四部作」が刊行され、思わず全部集めたくなるような表紙の装丁も相まって、アリ・スミスの名を広く知らしめた。
だが本書の訳者である岸本佐知子の訳書になじみのある方には、『変愛小説集』に収められている「木に恋をした、あの物語の著者」といった方が通りがよいかもしれない。『変愛小説集』とはいえ、最初のページからいきなり「あのね。わたし、木に恋してしまった。」というのは「変」の想定をはるかに超えて度肝を抜かれる。木に恋をするという設定のその作品がもともと収められていた短篇集が本書であり、岸本が「このすばらしい短篇集をいつかは一冊すべて紹介したいと願っていた」ものだ。
二〇〇ページほどに収められている「十二の物語は、一篇でひと月ずつを描き、全体で一年をひとめぐりする構成になっている」。と言っても、各月の行事や自然の美しさを謳う作品とは一味も二味も異なることは想像に難くない。事実、その期待を裏切らない。
二月という設定で最初に置かれた「普遍的な物語」についても、二月であることにまったく縛られていない。それどころか、場所からも主人公からさえも解き放たれている。「あるところに男がいて、墓場の隣をねぐらにしていた」という書き出しからほどなくして古本屋を営む女の話になったかと思えば、その古本屋のウィンドウの中にいるハエの話にいつの間にかすり替わっている。さらに視点はそのハエがとまっていたアメリカ文学の古典『グレート・ギャツビー』へ、次にはその本を買った男、その男の妹へと移る。わずか十二ページの中で目まぐるしい展開を見せつつも、物語が散らかりっぱなしではなく周到に回収されていく様は見事としか言いようがない。
一方で、四月の「生きるということ」は、設定が夕方のキングス・クロス駅と特定されていて、少なくとも前半はその駅にいる「わたし」を主人公とする一人称で一貫して綴られている。主人公が死神とぶつかりかけたにもかかわらず、「あ、失礼」と言っただけで驚く素振りもなく物語が流れていく幕開けには読者の方が驚かされる。だが、携帯電話が壊れた直後に電車が止まって帰れなくなってしまい、「あなた」が家で待っていることに胸を痛める主人公のけなげな姿からは、一筋縄ではいかない描写の中にも温かいものを感じる。
だからと言って、全短篇の根底に流れているのが温かい眼差しだなどとくくることはできない。同じく「私」を一人称として恋人の「あなた」との会話を中心に物語が展開する「信じてほしい」では、「私」が唐突に浮気とは呼べないレベルの浮気を告白したかと思えば、「あなた」も負けず劣らず驚くべき事実を打ち明ける。結局ふたりが愛し合っていることには違いないのだが、このふたりの会話からは、温かさというよりは何か世間の基準から外れたおかしさがにじみ出ているように思う。
訳者あとがきでも「舞台はおおむねスコットランドとイギリスで、主人公はほぼすべて女性(もしくは性別不明)。十二の物語に共通するのはそれくらい」と述べられている通り、手触りも一篇ごとにまったく異なる。
どの作品にも共通していることがあるとすれば、それはどこに連れて行かれるのか先が見えないことくらいだろう。結末が見えないのではなく、一歩先も見えない。たとえば「天国」の冒頭部分ひとつ取っても、「町の善人たちはベッドで眠っている」とくれば、善人だからベッドで眠れるのであって、悪人は寒空の下でしか眠ることができないのだろうと普通は考えてしまう。だが直後には、「町の悪人たちはベッドで眠っている」と続く。それなら善人と悪人を分ける必要はないだろうと突っ込みたくなるが、たった一歩先でさえ、薄っぺらい理屈に基づく推測など通用しないのだ。
改めて考えてみると、これほど先が見えず純粋に一行一行を追う楽しみに重点が置かれた作品を日本語で存分に堪能できるというのは、稀有であり幸運なことだ。話の筋からは推測できない外国語を読み解き、その空気まで置き換えるというのは並大抵ではない。近年は機械翻訳の精度も格段にあがり、情報収集や概要の把握だけであれば差し支えないレベルにまで達している。それでも、人が楽しむために人が訳すという行為は残り続けるのではないか。残るとしたら本書がその好例ではないか。随所にうかがえる表現の面白さや美しさ、行間にまで漂う味わいは、そんなことまで考えさせてくれる。
(翻訳者/ライター)
「図書新聞」No.3596・ 2023年06月24日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。
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