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品川暁子評 アベル・カンタン『エタンプの預言者』(中村佳子訳、KADOKAWA)

評者◆品川暁子
リベラルを自負していたはずが、まさかの炎上。社会に取り残された男の悲哀――読み進めていくうちに、次第に主人公に肩入れし、どうにか事態が好転しないかと祈ってしまう



No.3596 ・ 2023年06月24日

■二〇二一年に発表された『エタンプの預言者』は、将来が期待される若手作家に与えられるフロール賞を受賞したほか、ゴンクール賞をはじめとして各フランス文学賞の候補となった注目作だ。
 主人公のジャン・ロスコフは、六十五歳の白人男性で、元大学教師。妻と離婚し、アルコール漬けの生活に陥ってしまっている。一人娘のレオニーは、年上女性の恋人ジャンヌに夢中だ。
 ロスコフの人生は失敗続きだった。とりわけ一九九五年はつらい年になった。ソヴィエト連邦のスパイとして糾弾されたローゼンバーグ夫妻を無実だと主張する書籍を出したが、出版直後にCIAが機密を解除し、実は二人がスパイだったことが明かされたのだ。ロスコフの本は売り場から引き揚げられ、タレント歴史学者になるという夢も崩れ去った。
 それ以降、パッとしない人生を送ってきたロスコフだったが、四十年以上取り組んでいたロバート・ウィローという詩人の研究を再開することにした。ロバート・ウィローはアメリカの黒人ジャズ・ミュージシャンであり、共産党員でもあった。一九五〇年代初頭にマッカーシズムの迫害から逃れてフランスに亡命したあとは、サルトルやボリス・ヴィアンと親交があった。その後、サルトルから排斥され、共産党からも距離を置くと、エタンプという小さな田舎町に移り住んだ。一九六〇年、自動車事故で死亡。死後に詩集が出版された。
 時代に埋もれた詩人を世に知らしめ、そしてあわよくば自身の名誉も回復させようと、ロスコフは『ロバート・ウィロー、エタンプの預言者』を出版した。
 しかし、まったく反応がなかった。そのため、「出版記念トークショー」を行ったのだが、それが災難の始まりだった。
 ウィローが黒人であったことをあなたは講演中に一度も言及しなかったと指摘されたのだ。ウィローが黒人であったことは書籍でも触れているが、それが際立ったアイデンティティかどうか確信が持てないとロスコフが反論すると、その発言がブログ記事になりインターネット上で炎上する。
 さらに、「これは知的テロリズムだ」とロスコフを擁護するツイートに「ありがとう」とコメントをすると、火に油を注ぐ結果となってしまう。ツイートした知人が極右政党に入党していたからだ。
 身の危険を感じたロスコフは田舎に身を潜めるが、インターネット社会の現代ではすぐに居場所は突きとめられてしまう。起死回生を図ってラジオ番組に出演するが、そう簡単に鎮火しない。ついに身内を危険な目にあわせることにもなってしまう……。
 ロスコフは八〇年代にSOS人種差別(反人種差別団体)に所属していた。「アラブ人の人権運動のためにデモ行進した」と言うのが口癖だ。レイシストではないという自負があり、人種差別が何かをわかっていると思っている。しかし、残念なことに、ロスコフの認識は八〇年代からアップデートされていなかった。
 ロスコフが最初に原稿を持ち込んだ女性編集者からは「この世界にパラダイムシフトが起こったことを理解していない」と言われてしまう。ブログの指摘も何が問題なのかわからない。すべてが自身の認識と異なっていた。友人のマルクは、ロスコフの犯した罪は「文化の盗用」だと言う。黒人詩人のアイデンティティを白人であるロスコフが語ることは間違いだと言うのだ。
 娘レオニーやレオニーの急進的なフェミニストの恋人ジャンヌからも、アップデートされた世界を知ることになる。例えばジャンヌは「目覚めて(woke)」いる女性だ。英語のwokeは「人種的偏見や差別を認識している」こと。ジャンヌは人種差別を受けていない白人女性としての自覚があるのだ。だが、インターセクショナリティというアプローチを取れば、ジャンヌは抑圧を強いる加害者(白人)でもあり、抑圧を強いられる被害者でもある(女性で、同性愛者)。
 ジャンヌは、ロスコフの問題を最初から認識し、指摘していた。庇護者ぶっているが、被害者から声を奪い取っている、と。
 たしかにロスコフは「目覚めて」いない。何をどう弁明しても、ますます騒ぎが大きくなるばかりだ。だが同時に、匿名性の高いインターネットで一方的に攻撃を受けたキャンセルカルチャーの犠牲者でもあった。
 ときに酒に溺れ、不用意な発言をしてしまうこともあるが、ロバート・ウィローという詩人に敬意を込めて真摯に向き合っているロスコフを完全に否定することはできないだろう。読み進めていくうちに、次第にロスコフに肩入れし、どうにか事態が好転しないかと祈ってしまう。目まぐるしく変わる世界で、何が正しくて、何が間違っているかを判断するのは難しいのだ。
 アベル・カンタンはデビュー作でもゴンクール賞のロングリスト入りを果たしている。本作が二作目であり、今後が楽しみな作家だ。
(英語講師/ライター/オンライン英会話A&A ENGLISH経営)

「図書新聞」No.3596・ 2023年06月24日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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