品川暁子評 アラン・フラド『リスボンのブック・スパイ』(髙山祥子訳、東京創元社)
第二次世界大戦中のヨーロッパで枢軸国の書物を収集せよ!――実在した図書館司書から着想を得たスパイ小説
品川暁子
リスボンのブック・スパイ
アラン・フラド 著、髙山祥子 訳
東京創元社
■一九四一年十二月、戦略情報局長官ウィリアム・ドノバンは、ルーズベルト大統領にIDC(外国刊行物取得のための部局間委員会)設立を提案した。職員となるのは図書館の司書たちだ。ヨーロッパの中立国に赴き、枢軸国の新聞、書籍、定期刊行物などをマイクロフィルムに収め、飛行機で合衆国もしくはイギリスに運ぶ。職員がスパイ活動にかかわることは想定されていなかった。だが、スパイとして敵国の情報を盗み、偽の情報を与えてDデーの成功に貢献した女性司書がいた。
一九四二年五月、ニューヨーク。二十七歳のマリア・アルヴェスは図書館のマイクロフィルム部で働いていた。同僚のロイがIDCで働くことを知り、自分も働きたいと思ったが、アイヴィーリーグの学位が必要と言われ、すげなく断られてしまう。そこでマリアは、ドノバン大佐の講演会の招待客の秘書になりすまして招待客リストを手に入れると、招待客のふりをして会場にもぐりこむ。どうにかドノバン大佐に会うことができたが、すぐに正体がばれてしまう。しかし、その手法に感心したドノバンは、マリアをIDCに迎え入れた。こうしたマリアの機転の良さは、実際にIDCで働いてからいかんなく発揮される。そして身に降りかかる危機からマリアを何度も救うことになる。
もう一人の主人公は、リスボンの書店主ティアゴ・ソアレスだ。二十八歳のティアゴは〈リヴラリア・ソアレス〉を経営しながら、ユダヤ人難民をひそかに海外に避難させている。当時、フランスはドイツに占拠されており、ユダヤ人たちは中立国であるポルトガルに逃れた。ティアゴの母親はフランス系ユダヤ人で、難民支援を家族ぐるみで行っている。フランス・ボルドーに住む祖父母を頼ってきた人たちは、ティアゴの両親が住むポルトを経由し、ティアゴの書店にたどり着く。そしてリスボンの港から船に乗ってアメリカを目指した。書店員のローザはパスポートなどの渡航文書の偽造のプロで、ティアゴの協力者だった。
一九四三年二月、研修を終えたマリアはリスボンに赴任することが決まった。ところが乗っていた飛行艇(ヤンキー・クリッパー)が川に墜落し、半数以上の人が死亡する事故に巻き込まれてしまう。マリアは股関節を脱臼して入院したが、その後、同僚のロイたちと合流することができた。退院したマリアは新聞の売店を探してリスボンの街を歩く。街はヨーロッパ各地から流れてきた避難者たちであふれかえっている。リスボンはヨーロッパ西端にあり、海を渡れば自由を手に入れることができる。だが、乗船許可が下りず、多くの人たちが何か月も待たされることになる。
ロイのメモをたよりに、マリアが〈リヴラリア・ソアレス〉を訪れると、ドイツの産業に関する刊行物が見つかった。マリアは店主ティアゴに外国の書籍がもっとほしいと話す。マリアは感じがよく、信用できそうだと思ったティアゴは、さらに外国の出版物を発注する。
マリアと同僚たちは、IDC委員長フレデリック・キルガーからの指示で、ポルトガルの高級リゾート地エストリルを訪れる。戦略情報局イベリア半島担当責任者アーガスに会うのが目的だったが、マリアはラーズ・スタイガーというスイスの銀行家に声をかけられてカジノに行く。アーガスにそのことを報告すると、ラーズ・スタイガーはイギリス情報機関の監視対象だと聞かされる。ポルトガルはヨーロッパ最大級のタングステン(砲弾や戦車に使用される金属)の産地で、ドイツとイギリスに売ることで両国との関係を保っている。タングステンは闇市場でも取引されているため、情報を持っていると思われるラーズに近づいてほしい、とマリアはアーガスに依頼を受ける。
いっぽう、ティアゴもユダヤ人難民を支援するため文書を偽造していることをマリアに打ち明ける。マリアはティアゴの仕事も手伝うことになった。
職務を越えてますます危険な立場に身を置くマリアだったが、親しくなったラーズから「連合国の情報を探している人がいる」と切り出され、マリアは二重スパイになることを決意する。
上司や同僚に頼れない状況で、果敢にナチス・ドイツの中枢へ近づいていくマリアにハラハラさせられる。図書館の司書にすぎなかった女性が危険を顧みず、なぜここまで命を懸けてスパイ活動を続けるのか。その原動力となったのは、スペイン内乱の取材中に戦渦に巻き込まれて亡くなった報道写真家の母親の存在だった。マリアはファシズムを憎み、ヨーロッパの苦難が終わってほしいと強く願っていたのだ。
『リスボンのブック・スパイ』はフィクションだが、実際の出来事と時間軸を合わせ、歴史上の人物を登場させている。作者のあとがきによると、ドノバン大佐やフレデリック・キルガーなどは実在の人物で、飛行艇(ヤンキー・クリッパー)の墜落も実際に起きた事故だ。マリアは実在の人物ではないが、ストックホルムで活躍し、もっとも成果を上げた実在の女性IDC職員から着想を得た。
二〇一九年に作家デビューしたアラン・フラドは、オハイオ州とポルトガルに拠点を置く歴史作家で、これまでに発表した長編はいずれも高い評価を得ている。本書は長編四作目で本邦初紹介となる。
(英語講師/ライター/オンライン英会話A&A ENGLISH経営)
「図書新聞」No.3670・ 2025年1月11日号に掲載。https://toshoshimbun.com/
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。