柳澤宏美評 サヴィヨン・リーブレヒト/ウーリー・オルレブほか『砂漠の林檎――イスラエル短編傑作選』(母袋夏生編訳、河出書房新社)
評者◆柳澤宏美
ヘブライ語から生まれる現代の物語――歴史は繰り返すかもしれない。だが、変化は不可能ではないのだ
砂漠の林檎――イスラエル短編傑作選
サヴィヨン・リーブレヒト/ウーリー・オルレブ ほか著、母袋夏生 編訳
河出書房新社
No.3618 ・ 2023年12月09日
■一九四五年に建国されたイスラエル。日本とは反対側に位置する中東の国、というだけで漠然としたイメージしか浮かんでこない。気候、文化、歴史、地理、すべてが日本とは違う。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地エルサレムがあること、第二次世界大戦前のイギリスの三枚舌外交や戦後の四度にわたる中東戦争など複雑な歴史を世界史で学んだことも、難しいというイメージを強めてしまっているだろう。そんな国の短編小説アンソロジーである本書には、十七編の短編(一人の作家、ユダヤ民話、聖書物語から三編ずつ収録されているので、細かくカウントすると二三編)が収められている。キブツ、ショア、シオニズムなど耳慣れないユダヤ文化に関する単語が登場するので、イメージしづらい部分もあるが、そのなかで展開されるストーリーには共感することも多い。各話の最後には作家の略歴と簡単な解説、また、あとがきには、編訳者が体験してきたイスラエルという国の歴史と現在の様子を説明してくれており、国や宗教に関する知識が乏しくても読めるだろう。民話と聖書を除いて作家として略歴があるのは十五名。一八八八年生まれから一九八〇年生まれまで、出生地もイスラエルだけでなく、ポーランド、ドイツ、アルゼンチンなどさまざまで、イスラエルが移民を多く受け入れ、そしてそこから文学が編み出されていることに気づかされる。
あとがきによると、収録されているのは、すべてヘブライ語で書かれたものである。ヘブライ語は聖書の言語として知られ、西洋美術を勉強していると旧約聖書の場面を描いた作品に見ることがある。あるいはユダヤ人であることを背景に制作されたシャガールの作品群にも登場する。しかし多くの日本人は、文字ということがわかったとしても日本語とあまりにも違う形態に読もうという気にはならないだろう。あるいは宗教儀式との強い関連を感じ、現在日常的に使われている言語とは思わないかもしれない。あとがきには、書き言葉として残っていたヘブライ語を二十世紀初めに現代の言葉として成立させようとする運動が起き、それが人々のなかに根を下ろし、世代が進んだという、現代ヘブライ語の成立についても言及されている。このアンソロジーが遠い国の文学を紹介すると同時に、まさに今を生きる我々が共通点を見つけられる物語を集めたものであることを感じる。
家を出た娘を訪ねる母親、両親のいなくなったあとも家に残ろうと試みる姉妹、息子の墓参りをする父親など家族の物語もあれば、イスラエルの女性と分かり合えないアラブ人の男性や、ショア(ホロコースト)が透けて見える作品など歴史背景が色濃く反映された話などもある。なかでも「女主人と行商人」、「太陽を掴む」、「老人の死」、「神の息子」などどこか不穏、あるいは超自然的なものの存在を感じさせる話が印象的だった。
「老人の死」は、アシュトル夫人のもとに住んでいる老人が生きたまま埋葬される話で、同じ建物に住んでいる人物の視点で語られる。夫人がどこかから連れて来て同居し始めた老人は、最初は話題の中心にいたが、時が経つにつれて魅力がなくなり、いつまで生きているのかと思われるようになる。年を訊かれて、千年かもっと長いかもしれない、と答える老人と「あなた様は身罷られて、でも、意識はおありです」と老人に告げる夫人。あり得ない設定、会話だが、受け入れがたいことを受け入れようとする一方で抵抗を示そうとする老人の不安定な様子と夫人の迫力が物語から感じられる。最後に語り手と夫人の今後の関係が不穏になる雰囲気を残して物語は幕を閉じる。
この書評を書いている十月上旬、ガザを支配するハマスとイスラエルで武力衝突が起きた。イスラエル側は「戦争状態だ」と述べ、中東が今後どうなるのか世界中の人々が不安に感じている。二千年以上の歴史を背負った問題が解決するわけがない、と簡単に言う人もいるだろう。複雑な歴史があることは重々承知している。歴史は繰り返すかもしれない。だが、変化は不可能ではないのだ。話し言葉として一度はなくなったヘブライ語から現代を描く文学が生まれてきているように、変化する可能性を忘れないでいたい。
(学芸員)
「図書新聞」No.3618・ 2023年12月09日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。