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小平慧評 ティム・オブライエン『戦争に行った父から、愛する息子たちへ』(上岡伸雄/野村幸輝訳 作品社)

評者◆小平慧
育児奮闘エッセイ、息子たちへのラブレター、ユーモア・スケッチ集、ベトナム戦争の証言、戦争への警句、ヘミングウェイ論――そのすべてであり、どれでもない
戦争に行った父から、愛する息子たちへ
ティム・オブライエン 著、上岡伸雄/野村幸輝 訳
作品社
No.3601 ・ 2023年07月29日

■「大事なことから言おう。それはこういうことだ。私は君に恋をしている。頭がくらくらするような、目がくらむような、心がうずくような恋」。ベトナム戦争での従軍経験をもとにした作品で知られるアメリカ人作家ティム・オブライエンは、二〇〇三年、五十代で二人の息子の親となってから約十五年にわたり、息子たちにいつか読んでもらうための文章を折にふれ書きためてきた。親子の思い出、戦争の記憶、伝えておきたいメッセージ、そして何より、彼らへのあらんかぎりの愛を詰め込んで。
 二〇一九年に刊行された原著の抄訳である本書には、原著の全六十章のうち三十章が訳出されている。その少なからぬ部分を占めるのは、作家が身をもって体験した、子をもつ親にはきわめてありがちなエピソードだ。赤ん坊が何をやっても泣きやまず、医者につれていっても「赤ん坊は泣くものです」と片付けられて絶望する。考えの押しつけはよくないと分かっていても、子供のスポーツに口出しせずにはいられない。息子が小学校のテストで高得点を取ったことに「ロケット燃料によって打ち上げられたかのように喜びを爆発させてしまう」
 家庭でのユーモラスなできごとをつづるオブライエンの筆はしかし、ふとした拍子に、人生の暗い側面へとシームレスに移っていく。息子をひいき目に見てしまう「プライド」の話は、過去に戦争に行くことを選んだ自分の「プライド」の話にいつの間にか重なる。当時、ベトナム戦争に批判的な考えを持っていたオブライエンだが、いざ召集令状を受け取ってみると、兵役を拒めなかった。「私は純粋なプライドからベトナム戦争に出征し、戦闘に参加した。アメリカの善き息子という自分の評判を守るために。小さな町からの批判を避けるために。嘲りを避けるために」。この罪悪感は、代表作である連作短編集『本当の戦争の話をしよう』(一九九〇年)で、作者の分身のような作中人物「ティム・オブライエン」によって吐露されるものでもある。
 本書は、作家としてのオブライエンを知る本でもある。「父のヘミングウェイ」(1~4)と題された各章で、オブライエンは多大な影響を受けたヘミングウェイへの賞賛と不満をストレートに語る。
 「彼は主人公たちの死への恐怖をしばしば、とてもうまく描いている。(略)しかし、ヘミングウェイは死と向かい合う状況についてはめったに書かないし、あまりうまく書けていない」
 ヘミングウェイの主題は戦争そのものではなく、「いま存在しているものはいつの日か存在しなくなる」こと、つまりは死や運命の不可避性にあるのだとオブライエンは言う。自分とは性質の異なる作家としてのヘミングウェイ評は、裏を返せば、自分はこういう作家だというオブライエンの自画像ともいえる。
 ではこの本はけっきょく、息子たちへの愛をつづる本なのか? 創作をめぐる本なのか? 難しい質問だ。育児奮闘エッセイ、息子たちへのラブレター、ユーモア・スケッチ集、ベトナム戦争の証言、戦争への警句、ヘミングウェイ論。本書はそのすべてであり、そのどれでもない。話題も時系列も自由に行ったり来たりするこの本は、分裂していて、作者もそれを自覚している。
 「私が生きていた人生がそうであるように、そしておそらくどの人の人生もそうであるように、この本のページはどこも修復が難しい不統一感を持っている。(略)我が息子たちへのラブレターを集めたこの本では、統一感の強制は人為的な不道徳となり、さらに言えば、それは欺瞞的であるとも言える」
 この一節からはどうしても、『本当の戦争の話をしよう』で示される命題を連想してしまう。すなわち、本当の戦争の話に要点はなく、教訓を抽出することも、「戦争は地獄だ」とひと言で表すこともできない。
 「何故なら戦争というものは同時に謎であり恐怖であり冒険であり勇気であり発見であり聖なることであり憐れみであり絶望であり憧れであり愛であるからだ」(村上春樹訳)
 「戦争」を「人生」と置き換えてみても、あながち的外れな連想とはいえないだろう。
 だが、こんな連想は著者にすべて見透かされている気がしてならない。自作がどう読まれるか、オブライエンはおそらく常に意識している。
 二〇〇二年の『世界のすべての七月』以来、オブライエンは小説作品を刊行してこなかった。創作にのみ価値を置いてきた作家が、子供の誕生を機に本当に大事なものに目覚め、小説を書かなく(書けなく)なる。そんな紋切型に当てはめられるのは御免だとでもいうように、作家は釘をさす。「この沈黙には、ヒロイックなものは何もない。犠牲でも何でもない」
 オブライエンは今年、約二十年ぶりの小説となるAmerica Fantastica(原題)の刊行を予定している。(翻訳者/ライター)

「図書新聞」No.3601・ 2023年07月29日(土)に掲載。http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/index.php
「図書新聞」編集部の許可を得て、投稿します。

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