東洋医学の道へ
そう考え始めたら
すぐに実行に移さなければ気がすまないので、
すぐに鍼灸学校の入学案内を取り寄せた。
ぎりぎりで願書の提出が間に合った、
仙台の学校になんとか合格し、
久しぶりの学生生活を仙台ですることになった。
鍼灸の専門学校は3年間で
入学金や授業料もばかにならない金額で、
蓄えがほとんど底をついてしまった。
文枝が働いてくれていたおかげで
なんとか生活できている状態だったが、
不思議と将来に対する不安は
二人ともまったく感じていなかった。
どんなことをしても
食っていくくらいならなんとかなる
という妙な自信が
海外の生活で養われていたようだ。
朝は新聞配達をして、昼学校に行き、
夕方からは治療院の手伝いと漢方の勉強会、
あの頃は本当によく勉強したと思う。
学ぶというのがこんなに面白いことだと
25歳になってはじめてわかった。
学校に入って半年ほどで
学校の勉強だけでは限界を感じて、
個人的に漢方の勉強も始めた。
鍼灸院と漢方薬局をやっている先生のところで
漢方と鍼灸を学び、
治療院の手伝いもさせていただいた。
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ここの先生が素晴らしい先生で、
漢方や鍼灸などの東洋医学だけではなく、
易や四柱椎命、風水、気功、精神世界など
幅広い分野で独自の世界観を持っている先生だった。
学校ではなく、私塾のような形で
個人的に教えているだけだったが、
医師や衆議院議員、薬剤師、鍼灸師、
普通の主婦など多彩なメンバーでおこなわれた。
先生は、現在の松下村塾だといっていた。
先生は時々東洋医学から話が脱線して
精神世界の話になるのだが、
それがまた先生という人を学ぶ
いい学習になっていた。
私はこの先生から
東洋医学の神髄を徹底的に教え込まれた。
この先生は、
素晴らしい哲学を持っていたにもかかわらず、
筆無精で本を出されていなかったので、
全国的にはあまり有名ではなかった。
そのおかげで、
本当に手取り足取りマンツーマンの様な
形で教えてもらうことができた。
私が今、ゲストの方にアドバイスしている
さまざまな健康法の要になっている
体質の見分け方は、ほとんど、
この先生に教わったといってもいい。
またそれ以上に先生の生き方を通して、
常に学び続ける姿勢と
物ごとの本質を見る大切さを
身をもって教えていただいたような気がする。
この先生との出会いは
私の人生の大きなターニングポイントになった。