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『悪は存在しない』 ~ 革新的探究で生まれたシン・映画 ~

濱口竜介監督の『悪は存在しない』を見てきた。

圧巻。こういう映画大好き。もうこれは、「シン・映画」と呼んでしまってもいいのでは?

「自然と開発」という社会的課題をストーリーの柱に置く意識の高い作品として世界的映画祭受賞へのきっぷは周到に手に入れつつ、実は監督が撮りたい映画を撮りたいように撮ったなという印象。

のっけからゴダール。

音楽の使い方、タイトルの出し方、息・水・鳥・足音に和むかと思えば、耳をつんざくような物音・・・。

絵と文字と音楽と物音のコラージュ的な使用が、ジャン=リュック・ゴダールの中後期の作品を彷彿させる。いや、彷彿どころか、まんま真似てるような遊び心を感じた。

それとは対照的に、映画が進むにつれてジワジワ浸みてくるのがレヴィ=ストロース。

自然と開発、地元住民と開発業者、田舎と都会といった二項対立だけではなく、親と子、上司と部下、穏和と獰猛、従順と凶暴、平時と非常時といったさまざまな二項対立。

クロード・レヴィ=ストロースが『生のものと火を通したもの(Le Cru et le Cuit)』において、さまざまな二項対立から構造を分析したのを逆にさかのぼるように、濱口監督はこれでもかというほどさまざまな二項対立にカメラを向けて、一つの作品を紡ぎ出している。

そして、「生」と「火を通したもの」の間に位置する中間的なカテゴリーとしての「腐敗したもの」。

実は開発業者と地元住民の間に挟まれてきつい交渉にあたらされている2人の現場担当者も、「まだ誰も、賛成でも反対でもない」「問題はバランスだ」と発言する主人公も、少しずつこの中間的なカテゴリーに歩み寄ってくる。

まるで境界を越え、二つの世界を行き来するトリックスターのように。

おそらく、最後の結末は、実体論的に意味を求めてもしかたがないのだと思った。あくまで関係論。固定された実体ではなく、関係やプロセスを通じて感じるしかないのだろう。

その他、印象に残ったこと。

固定、手持ち、パン、トラックなど、どのカメラワークも興味深いし、車のブレも最高。遊び心があって、実験的とも言える。

役者が演技性をそぎ落としてて、ある種ドキュメンタリー的でもある。なにより、それ自身は演じているわけではない文楽人形のようで、かえってリアリティを感じた。

終始、短調のメロディが流れ、映画が解き放たれないよう抑え込んでいる感じだった。

現場担当者2人の車内の会話が本質的で秀逸。同監督の『偶然と想像』でも数々のダイアローグにしびれたが、今回もかなりしびれた。

薪割りを教えるシーンの長回しも見もの。

ヌーヴェルヴァーグと構造主義、ジャン=リュック・ゴダールとクロード・レヴィ=ストロース。

20世紀の思想や文化に大きな影響を与えた2人のフランス人が革新的な方法で各自の領域を探求したのと同様、この映画もかなり革新的な方法で濱口ワールドを探究した作品だと思う。

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