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政府のKPIは、GDPでも幸福度でもなく、無数の評価軸(ゲーム)を乱立させること

ちょっと前の記事で、次のような意見を述べた。

社会には無数のゲームがあるが、グローバル資本主義における資産と権力という二大ゲームが、無数のゲームの序列で強くなりすぎているのだ。これら二大ゲームを弱め、その他の無数のゲームが強くなるような社会にすることが多様性を実現するということだろう。

経済力を上げるとかは二の次で、このような社会が最も必要とされている。

なぜか?

これは実存的など真ん中のイシューだからだ。

実存とは、つまり、喜怒哀楽に満ちた一人ひとりの主観的な生である。

この領域において、もっとも重要なのは自己価値を感じれること。

自尊心ともいえる。

もしも、社会が権力と金のゲームに支配されていたら、自分では選べない不利な生まれの影響で、そのゲームの敗者となってしまえば、人生はつらい。

この生まれの偶然性の克服が喫緊の課題だ。

では、どうしたら様々な評価軸を乱立させることができるか?

まずは、みんな違う、という空気が必要だ。

アメリカのような多民族国家だと、見た目から明らかに違う人々が入り混じっている。こういう状況だと、自分の評価軸は自分個人や家族、さらには同じ文化を共有している領域に限定されるものだという風に考えるようになるだろう。

ただ、実際アメリカ社会ほど、権力と金のゲームが強い国はなさそう。実際どうなんだろう?

中国も、多様性はある。貧富の差が激しいし、地方により風習も異なる。でも、マネーゲームは強力だ。

ただ、アメリカも中国も、やはり富めるものは生まれや環境がよくてそうなっている、だから社会貢献しろ、というような空気感はある。

その上で、二大ゲーム以外への尊重はある。アメリカには。中国はないかもしれない。

いずれにせよ、評価軸を乱立させることが経済力より何より大事な国家の課題という認識を作っていきたい。



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