生まれで決まっているなら教え手の評価は何になるか
生まれの偶然性を人生のテーマにしている私ですが、
最近、以下のツイートを見かけた。
外国語は遺伝の影響が50%とのことだ。
これがどんな実験なのかわからないが、遺伝の要素が強いことがある程度実証されていると想定しよう。
私は外国語を教えて、学習者の習得をサポートしているが、たしかに人によって得手不得手があることは否めない。
顧客満足度はお陰様で高いが、正直凄い成長したけど自分のサポートのおかげとは誇れない場合や、めっちゃ頑張ってサポートしてもこれくらいだったかと思うことはある。
こうなると、教師の評価はどうすればいいのか?
もし客観的に想定できる成長というものがあれば、そこからの逸脱が教師の責任といえる。
例えば、Aさんは語学のセンスがあるから1年で毎日2時間勉強すれば100の地点までいける。ある教師が1年指導し、結果120だったから、想定より1.2倍でアウトパフォームした、と評価できる。逆もしかり。
でも、そんな客観なるものはありえない。この人は、過去にこういう資格や経験や実績をもっているから、中国語はこれくらいの伸びだろう、ということなどシュミレーションできるわけがない。そんな世界は単純ではない。
ではどうすればいいか?
最終的には学習者の教師に対する評価が一番強力だろう。それしかみんなが納得できるようなものはないかな。。