被投性と意思の哲学、ハイデガー
現象学的に考えると「意思」とは何か?
「意思」という概念は、自分の「いまここ」の領域における次のような体験が支えている。
・いくつかの選択肢を自分が取れるというリアリティがあり、
・そして吟味の基に、そのうちの1つを選び、それを実行でき、
・その結果として、選ばなかった選択肢を惜しむことができる、
というようなところにある。
そして、その選択肢たちがどういうふうに出てきたかというと、自分が考え出したというイメージもあるが、突き詰めると、降ってきたものだといえる。つまり、よくわからないが、そういうアイデアが出てきた、という感じ。
そして、これを究極的に突き詰めて遡れば、自分が自分に生まれてきた、こういう世界が広がっている神秘、奇跡ということになる。これをハイデガーは被投性といっている。ウィトゲンシュタインもこれを神秘性として重要視している。
意思を発動した行為には、責任が伴うような気がするが、突き詰めれば全く解明できな被投性にぶち当たる。
これを理解すれば、世の中もっと寛容になるだろう。
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