みんなが「自分」がどういう自動機械かを理解すれば世の中よくなると
こう思っている。
「自分」がどういう自動機械かを理解する、とはどういうことか。
どういうときに、嬉しくなったり、イライラしたりするか、そういう降ってくる所与的なものがどういう仕組みで生じるのかを理解する。
これは自覚的に言語化できていないくても、そういう想定で意思決定し行動していればいい。
なんでみんなにこれを求めるのか。
それは、自分がわかっている人は、相手と折り合いをつけることができるからだ。
つまり譲れるところと譲れないところの線引きができる。
だから、合意点を探り合うことができる。
逆に、自分がわかっていない人は何でもほしがる。なんでも最高を求めようとする。最高を求めなくても話の起点となる軸がないと、こういう人だと妥協点を見出すことができない。
人と人が建設的に互いが最良の状態になる選択をするには、両者がまず自分を理解していることが前提となる。
こういう人が増えれば、どんどん建設的なコミュニケーションから成果が生まれてくる。
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