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覚悟はいかに可能か〜ハイデガーの Entschlossenheit〜

人は覚悟を決めて、何かに一途に取り組むときが人生で一番輝く。

そういう場面は、一生に一度くらいしかないだろう。

それが20代にくるか、30代なのか、60代なのかはわからない。

では、どういうときに人は覚悟ができるのか?

それは、自分の生まれが人間社会にどういう価値を提供できるかを確信できたときだと思う。

簡単に言えば、「私はこれをやるために(使命)生まれたのだ」と思えるときだ。

ハイデガーのEntschlossenheit。先駆的決意、覚悟などと訳されるが、この概念が一つの手がかりになる。

これは、存在論の文脈で出てくる概念だが、一般的に実存論(どう生きるか)的な文脈で理解される。ただ、どっちにしろ、それを考えている人はみな実存を生きるので、どちらでも同じだ。

ハイデガーでは、覚悟はどう生まれるか?

それは、自分の内なる声に耳を傾け、死というこの今ここの意識の流れの途絶えを受け入れたとき、ということが言われている。

こうなれば、もう、自分の生まれやこれまでやってきたことをもとに、それを形にする何かに命をかけるしかなくなる。

「なぜなにもないのではなく何かがあるのか」というラディカルな問いを立てたハイデガーも、結局は、実存的な領域で回答を出しているようにみえる。

でも、それが本当の現象学である、ともいえる。


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